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2013年1月 6日 (日)

頭としっぽ(その6)

ここしばらく接尾辞の「さま」、「さん」、「ちゃん」とたわむれてきた。

系統的に見れば、「さま」が基本で「さん」や「ちゃん」はその変化形なのだろう。

わたしたちはそうして変化形を作り出し、使い分けることで対象との距離感や上下感覚を表現してきた。

しかし、「さま」系の接尾辞のはたらきは、実はそれだけにとどまらない。

たしかにこの接尾辞の前に来るのが固有名詞であれば、待遇表現の範疇におさまる。
「雅子さま」でも「雅子さん」でも「雅子ちゃん」でも、「雅子」には変わりがない。

しかし、前に来るのが普通名詞なら事態は一気に紛糾してくる。
このことは、これまでもお話しした通りだ。

それに固有名詞なら「さま」、「さん」、「ちゃん」のいずれもが使用可能だが、普通名詞になると制限がかかる。

「かみさま」や「かみさん」は使えるが、「かみちゃん」は不可である。
逆に「赤ちゃん」はりっぱな名詞になるが、「赤さま」や「赤さん」はナンセンスだ。

人は他人のこどもを指して、男の子なら「お坊ちゃん」、女の子なら「お嬢ちゃん」と言う。

そして女の子の場合、「お嬢さま」、「お嬢さん」も待遇表現としてりっぱに通じる。
しかるに男の子の場合、「お坊さま」や「お坊さん」になると、まるで意味が変わる。

性が変わるだけで、これほどにも扱いが変わるのだ。
不思議と言うほかはない。

接頭辞や接尾辞は、自立語ではない。
何かにくっついていないと生きていけないことばである。
その意味では情けない存在である。

ちっぽけな音の切れ端のようにみなされて、ことばの世界でまともに扱ってもらえない。

しかし、神は細部に宿る、と人は言う。

ここしばらく接頭辞や接尾辞の世界をさまよっていて、ここにはわたしたちの言語活動について何かの暗示がある。
何回か前にそんな予感を吐露したことがあった。

ひょっとすると、接頭辞や接尾辞の世界にはことばの神さまがひっそりと棲んでいるのかもしれない。

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