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2012年12月22日 (土)

頭としっぽ(その4)

日本語では、名の下につく接尾辞として「さま」、「さん」、「ちゃん」がある。

たとえば、雅子さま、雅子さん、雅子ちゃん…。

わたしたちはこれらの接尾辞を使い分けることで相手との距離感覚、上下感覚、親密感を表現する。

ところで、その相手が「雅子」ではなく「かみ」であればどうか?

かみさま、かみさん、かみちゃん…。

日本語の「かみ」はずいぶん多義的な語だけれど、いずれにせよ「かわいい!」という感情や親密感を喚起する意味はない。
だから、「かみちゃん」は使えない。

では、「かみさま」と「かみさん」の違いはどうだろう。

当たり前のことだけれど、「さま」のほうが「さん」よりえらい。

だから、「かみ」が「神」の意味であるのならふつうは「神さま」だ。
このブログでもこれまで「神さま」と呼んでたてまつってきた。

しかし、便所の神さまやかまどの神さまなら、「神さん」と呼びかけても罰は当たらないような気がする。
一神教の場合は「神さん」でははばかりがありそうだが…。

つまり、「神さま」とちがって「かみさん」はかなり微妙な位置にある。
そこに別の意味が入り込む余地がある。

前々回少しお話ししたように「かみさん」には「わが妻」の意味もある。
第2音節以下を高く発音すれば、この意味になる。
コロンボ刑事のアクセントを聞くとよくわかる。

「雅子さま」でも「雅子さん」でも「雅子」に変わりはない。
しかし、「かみさま」と「かみさん」では、まったくちがう意味になることがある。

日本語の接尾辞の不思議な作用である。

いかにして「神」が「わが妻」に転化するのだろう?

「うちの山の神がうるさくてね」
最近はあまり聞かないけれどそんな言い方がある。

「わが妻」への意味の転化はこのへんから来たにちがいない。
では、「わが妻」のことをなぜ「山の神」と呼ぶのか?

もう何十年も前のことになるけれど、『季刊人類学』に『わが妻を山の神と呼ぶ由来』というタイトルの論文が載っていたことを思い出す。
著者は千葉徳爾さんだったか?

その時はタイトルだけ見て「いずれ読もう」と考えたようだが、今となっては論文がどこに行ったかもわからない。
後悔先に立たずである。

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