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2012年11月 2日 (金)

「聞く」と「読む」(その3)

これまで、「よむ」という動詞は文字言語を受信する行為をあらわす動詞だといってきた。

しかし、この動詞はふしぎなふるまい方をする。

ことばを受信するだけでなく、時としてことばを生成発信する行為を意味することがある。

たとえば、「よむ」を「詠む」と表記することで和歌を創作しそれを人々に披露する行為を意味することができる。

人は感興の高まりにまかせて歌を「よむ」。
そして、のちの世にだれかがその歌集を「よむ」。

こうして、ひとつの語が正反対の意味を持つことができる。

同じような例は「よむ」以外にもあるかもしれないし、日本語以外にもあるかもしれない。
これまでに何度も繰り返したことだけれど、本当にことばの世界は奥が深い。

では、どうして「よむ」は正反対の意味を持ちうるのだろう?
あるいは見かけは正反対でも、同じ意味の源泉から出発しているのかもしれない。

すこし検証してみよう。

まず、古くは「読む」という語は「声に出して読む」という含意があった。
日本でも西洋でも黙読という習慣が普及したのは意外に最近のことだ。

自分が作った歌も一座の人々に披露する時には、それを朗々と読み上げなければならない。
「声に出す」という点では、書物を読む場合も短歌を創作し披露する場合も共通している。

また、前回神さまのメッセージを受け止めるときは「聞く」と「読む」の区別がなくなる、というお話をした。

古くから芸術的霊感が降臨するときには、ミューズであれデーモンであれ、何がしか神さまの作用が働いていると信じられてきた。

歌が生まれるとき、作者には神さまのメッセージが届く。
人はそれを読み取り、声に出して読み上げるのだ。

テキストを読む、歌を詠む…。

ことばの受信と発信。
一見意味は正反対だけれども、「よむ」の意味を掘り下げていけば同じ源泉にたどり着く。

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