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2012年11月25日 (日)

凡人の悩み

前回は、言語活動にかかわる動詞の名詞化という現象をめぐって頭を悩ませた。

しかし、悩みはまだまだ尽きない。
たとえば、同じく名詞化すると言っても「話し」と「語り」では意味がちがう。

「話し」は「話す」という行為の内容を意味しているのに対して、「語り」は「語る」という行為そのものを意味しているように思える。

「君の話しはよくわかった」
「かれの語りは名人芸に域に達している」

この点では、「語り」と「しゃべり」は共通している。

語頭に「お」がついて「おしゃべり」になれば、「しゃべる」行為の内容などますます問題にしていない。
「あいつはおしゃべりだから信用できないな」

同じく「お」がついても、「お話し」は「話す」中身そのものである。
「先日のお話について、内部で検討しましたところ…」

操作は同じなのに、どうしてこんな違いが生まれるのだろう?
と、また頭を悩ませてしまう。

ところで、前回は「話す」、「書く」、「聞く」、「読む」という言語の4技能に関する動詞を話題に取り上げたけれども、内的言語にかかわる動詞にも目を配っておきたい。

「思う」と「考える」の場合はどうか?

これは、「話す」、「語る」と同じようにたやすく名詞化し、日常会話にも頻繁に登場する。

「私の思いを受け止めてください」
「私にも考えがある」

音声言語や文字言語とちがって内的言語は他人には認知不可能なしろものなのに、これだけよく人口に膾炙するのは考えてみれば不思議なことだ。

内的言語は実在する、という確信がこれほどまで人々の間に深く共有されていたとは!

ともあれ、このように名詞化はわりにすんなりいく。
では、語頭に「お」がつくかどうか?

たしかに、「お思い」、「お考え」という表現がないことはない。

しかし、あくまでも敬語表現の範囲に限定されていて、「お話し」や「おしゃべり」ほど一般的に用いられる用法ではない。

「話す」や「しゃべる」のような親しみやすい身体行為とはちがって、思考活動はお高くとまっているのだ。

動詞の名詞化の現象。
そして、語頭の「お」の効果。

このことはわたしたちの言語活動について何かを暗示しているのかもしれない。
前回の最後ではそんな予感を吐露してみた。

しかし予感は予感のままとどまり、どうしてもそこから先に進むことができない。
これもまた私の悩みである。

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