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2012年10月20日 (土)

「聞く」と「読む」

少し前に、「話す」と「語る」の違いについて考えたことがあった。
また、「思う」と「考える」という内的言語にかかわる動詞の違いについても考えてみた。

よくよく考えてみれば、これらはみな言語の生成、発信という行為をあらわす動詞だった。

(本当は内的言語に関してはいまだ発信には至っていないのだが、話がややこしくなるのでこの点には目をつぶって先に進みたい。)

いずれにせよ、生成発信サイドだけでなく言語の受信をあらわす動詞についても言及しなくては片手落ちというものである。

人が話し、語ることばを受け止める行為をあらわす日本語の動詞は、いうまでもなく「きく」である。
「聞く」あるいは「聴く」と表記する。

ほかには?
うーんと、「うけたまわる」?

こんなのは特殊な状況でしか使われないし、だいいち「うける」と「たまわる」の合成語であって言語の受信行為をあらわす固有の動詞ではない。

「話す」、「語る」だけでなく「言う」、「しゃべる」、「述べる」など発話行為をあらわす動詞は豊富で多彩だ。
それなのに、話しことばの受信行為をあらわす動詞は基本的に「きく」だけ。

言語の発信と受信は双方向の行為なのに、このアンバランスはどうしたことだろう!
登場するピッチャーは多士済々なのに、それを受け止めるキャッチャーはたったひとり、という状況。

発話器官である口は、発話だけでなく呼吸、摂食、攻撃、運搬など多目的に対応した器官である。
これに対して、耳は外界の音や声を受信することに特化した器官である。

こうした受発信器官の性格の違いが、動詞の種類の多寡にも反映しているのだろうか?
それとも、そもそも受信という受動的な行為は、一般的にバラエティに乏しいのだろうか?

ともあれ、たった一人のキャッチャーではあるけれども、そのかわりこのキャッチャーは守備範囲が広い。
「聞く」や「聴く」だけでなく、「利く」や「効く」もカバーしている。

「このお薬、よく効きますよ」
「このブレーキ、利きが悪いなあ」

いずれも、その本来の機能が十二分に発揮されていることをあらわす動詞である。

耳という受信専用の器官がその本来の機能を遺憾なく発揮した時、「聞く」あるいは「聴く」ということばの受信行為が成立する。

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