« 「聞く」と「読む」 | トップページ | 「聞く」と「読む」(その3) »

2012年10月27日 (土)

「聞く」と「読む」(その2)

音声言語の受信行為をあらわす日本語の動詞は「きく」がもっぱら受け持っている。
しかし、その守備範囲は広い。

というのが前回の結論だった。

では、文字言語の受信行為をあらわす日本語の動詞はどうか?

これまた、さしあたり「よむ」しか思い浮かばない。

本を読む、メールを読む、街の看板を読む…。
対象が何であれ、文字言語ならその受信行為はもっぱら「読む」ひとつでことが足りる。

前回もお話ししたように、やはり受信行為というのはそもそもバラエティに乏しいのだろうか?

では、その守備範囲はどうか?

考えてみると、読む対象は本やメールや看板など文字言語だけじゃない。

票を読む、ピッチャーの心理を読む、百年後の日本社会を読む…。

そんな風に、文字言語以外の対象も「読む」ことができる。
人の心やまだ来ぬ未来など見えないものについて、推し量る時にこの語が用いられる。

このことは、日本語の「読む」という動詞が列島への文字伝来以前から存在していたことを示している。

そう、「掻く」から「書く」に発展したのと同じように、「読む」もまた文字言語とは無縁の動詞であったのが、文字伝来に合わせて転用されるようになったのだ。

ところで、「神さまの声を聞く」という言いかたがある。

言うまでもなく、この場合の「声」は人間と同じような音声言語であるはずがない。
強いていえば、かたちのない内的言語である。

上でもお話ししたように、「読む」は文字言語だけでなく内的言語の受信行為にも用いられる。

だったら、「神さまの声を読む」でもかまわないことになる。

わたしたちが神さまからのメッセージを受け止めるとき、「聞く」と「読む」の区別はなくなる。

|

« 「聞く」と「読む」 | トップページ | 「聞く」と「読む」(その3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「聞く」と「読む」 | トップページ | 「聞く」と「読む」(その3) »