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2012年9月28日 (金)

「思う」と「考える」(その3)

「話す」や「書く」という言語の表出行為と「思う」や「考える」のような思考行為とはどちらが先行するか?

まず人の心のうちで「思い」や「考え」が浮かび、しかるのちその内的言語が「話す」や「書く」という具体的行為を経て、他人にも認知可能な「ことば」としてあらわれ出る…。

という単純な順序関係ではなさそうだ、というのが前回の結論だった。

そうではなくて、たがいに原因となり結果となるにわとりと卵のようなダイナミックな関係らしい。
まことにことばの世界は一筋縄ではいかない。

だとすれば、あらかじめ「思い」や「考え」などなくてもかまわない。

とりあえず目の前の人に向かって話しかけてみる。
それがきっかけとなって、話がはずんでくる。

あるいは、とりあえず机に向かってペンを握ってみる。
モニターに向かいあってキーボードをたたいてみる。

それがきっかけとなって、ことばがほとばしりはじめることもある。

思えばこのブログでもそんな経験を何度したことだろう。

言語生成の力学、といったものをおぼろげに感じる。

神さまの場合はいざ知らず、人間なら発声器官を起動する、あるいは腕や指の筋肉を作動させる。
そんな身体行為が言語生成のきっかけになる。

机の前に座って黙然と腕組みするだけではなにごとも始まらないのだ、きっと。

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