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2012年9月15日 (土)

「思う」と「考える」

発話をあらわす日本語の動詞は、「話す」、「語る」をはじめ数が多い。
それにひきかえ文字言語を生み出す行為をあらわす動詞は、「書く」以外に余りぴったりしたものはない。

というのはこれまでお話ししてきたことだった。

音声言語、文字言語と続いてきたからには内的言語についても言及しないわけにはゆくまい。
ちょうど前回お話しした夢想の中で、久しぶりに内的言語が登場したこともある。

そこでこの際、内的言語の生成についても考えてみたい。
無の状態からある内的言語が生まれる事態をあらわす日本語の動詞は何?

やはり「思う」とか「考える」だろうか?
何となく月並みだが、他に思い当たらない。

内的言語の中身は何でもいい。

たとえば、「お腹すいたなあ」と「思う」。
「今晩、何食べようか?」と「考える」。

「思う」、「考える」以外の語彙は浮かんでこない。

いま、「浮かぶ」という動詞を用いたけれども、「思う」や「考える」という動詞には空間的な上昇感覚が伴っている。

いまだ言語化されていない「何か」が泡のように、意識の深層、無意識界から上昇して来て意識の表層にぽっかりあらわれ出る、そんなイメージ。

「おっ、いい考えが浮かんだぞ!」
「かれの胸中にはそんな思いが浮かんだり消えたりした…」

このあたりが、音声言語、文字言語の生成メカニズムとちょっぴり違うところだ。

だれも知らない意識の深層でひっそり胚胎したことばの卵が、小さな泡のように深海から海面に昇ってくる。
そしてその時、まるでビーナスの誕生のようにことばが生まれ出る、意識化される。

しかるのち、それが「話す」や「書く」という動作を通じて外界に送り出され、はじめて人々に共有されるメッセージに育っていく…。

思えば遥かなことばの旅である。

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