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2012年9月 8日 (土)

真夏の夜の夢

キーボードやボタンを「たたく」、「打つ」、「押す」。
そんな入力操作に潜む攻撃性が、そこから生み出されることばに乗り移る。

それだけじゃない。
ケータイの、例のおせっかい機能がある。

ほんの一文字入力しただけで、ケータイのほうが先回りして変換候補を表示してくれる。

わたしたちは何も考えなくていい。
その中から選ぶだけでいい。

便利なものだから、やがてこの機能にすっかり依存してしまう。
こうしてわたしたちの生成することばは、限りなくステロタイプ化しやせ細っていく…。

こんな風に文字言語の荒廃や退廃について、その元凶として科学技術をやり玉に挙げながら、前回は一転して音声認識技術の進歩に大いに期待を寄せてしまった。

われながら身勝手と思う。

しかし、このところのIT技術の驚異的な発展ぶりには素直に脱帽するしかない。

たとえば私の子どもの頃、家の電話は柱に取り付けられていた。
四角い木箱でできていて、右の側面にハンドルがついている。

筒型の受話器を耳に当て、そのハンドルをぐるぐる回して電気を起こし、ラッパ型のマイクに向かってしゃべるのである。

博物館では時々みかけるけれども、わが家ではそれを実際に使っていたのだ。
それが幾星霜を経て、いまではスマホである。

そんな風にIT技術の進歩を身をもって体験しているものだから、この先何が起こっても不思議じゃないと本当に思ってしまう。

たとえば前回は音声認識技術を取り上げたけれども、将来文字入力に当たって「声」さえも必要ない時代が来ると言われてももう驚かない。

パソコンに向かって、「ねえねえ、舞子においしいケーキ屋さんができたんだって! 今度の日曜、行ってみない?」と「思う」だけでいい。

パソコンは彼女の脳波の微細な変化を検知して、それを言語化し文字化して自動的に友だちに送信する。

音声認識技術から内的言語認識技術へ。
SFの世界でしかお目にかかれなかったテレパシーの実用化。
「以心伝心」の技術的達成。

昨今のIT技術の発展はそんな夢想も呼び起こしてしまう。
さすがに真夏の夜の夢だろうけれど、考えてみるだけでも楽しい。

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