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2012年8月18日 (土)

文字言語の逸脱

ほんの少し前まで、「書く」という行為は紙と筆、という道具立てで行われた。

机の上に紙をのべ、筆に墨を含ませ腕と手首を縦に横にすべらせて書いてゆく。
優美な、なめらかな、アナログ的な動作だった…。

というような文を、いまの私はキーボードをたたいて「書いて」いる。
紙の代わりのモニターには、あらかじめ機械に装備されたフォントによる文字が表示されてゆく…。

これはもう「掻く」に由来する「書く」という動作から逸脱した行為かもしれない。

その動作に注目するなら「書きことば」ではなく「打ちことば」もしくは「たたきことば」と表現するほうがふさわしいかもしれないし、実際そのように提唱している人もいる。

ケータイなら、小さなボタンを押して文字言語を生成するのだから「押しことば」ということになるだろうか?
人々は目にもとまらぬ早業で、液晶画面に文字言語を打ちこんでゆく。
そこには本来の文字ばかりでなく、無数の絵文字や記号が混じり込み躍動する。

筆に墨を含ませ机上の紙に向かう時は、それなりの覚悟もしくは心構えが不可欠だった。
だから、「おしゃべりは好きだけれど、書くのはちょっと…」という人は多かった。

しかし、人々がケータイでメールを連発するとき、そこにはもう「書く」という意識はない。

ケータイやパソコンの文字言語は、姿かたちだけは文字言語でももう「書く」という行為によって生成される文字言語とはまったく別ものになっているのかもしれない。

「書く」というのは、アナログ的な優美な動作だった。

しかし、パソコンやケータイという道具で生成される文字言語は「打ちことば」であり、「たたきことば」であり、「押しことば」である。

「打つ」、「たたく」、「押す」…。
いずれも何がしかの攻撃性を秘めたデジタル的な動作である。

ネット上の言説にみられる攻撃性。
人々の思考や行動がどことなく切れ切れの、刹那的な印象を感じさせる今日このごろ。

このような傾向はどこかで文字言語の変容と関係していると思う。

いま「変容」というあたりさわりのない語を用いたけれど、本当は「荒廃」と表現したいところだ。
文字言語の荒廃への予感…。

それでも言語処理技術はますます高度化するにちがいない。
この先、文字言語はどこまで逸脱していくのだろうか?

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