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2012年7月 8日 (日)

ことばが「外」に出るとき

前回は、「はなす」という動詞の原義に迫ってみた。

考えてみれば、発話を意味する日本語の動詞は多い。

はなす、いう、しゃべる、かたる、のべる、つげる…。

いま思いついただけでも、これくらいはある。
このほか、ちょっと古い言いかた、特殊な言いかた、方言まで含めるとさらに多いにちがいない。

それぞれ、意味やニュアンスが少しずつちがう。

発話というのは、人が内的言語を音声化して「外」に送り出すことである。
その瞬間の、どの側面に注目するかによって、言いかたが決まってくる。

発話を意味する動詞の多様性は、日本語に限らない。
英語だって、SAY,TELL,TALK,SPEAKなどたくさんの言いかたがある。

漢字にしても、話、語、述、告などいくつも思い浮かぶ。
「喋」は和製漢字っぽいけれど、どうだろう?

マレー語、アラビア語、フラマン語などその他の言語だって同じにちがいない。

発話というのは、人間にとって食べたり寝たり歩いたりするのと同じくらい基本的な行為だ。
そして、食べたり寝たり歩いたりは他の動物でもすることだが、ことばを口にすることは人間にしかできない。

その意味でもっとも人間らしい、奇跡的な行為と言っていい。

のみならず、内的言語を「外」に送り出すことは人にとって重い決断を伴う行為である。
このことは前回もお話しした。

かれこれのことを考えると、発話という行為に人々の関心が集まり、その行為をさまざまな表現で言いあらわそうと苦心するのも無理からぬところだ。

はなす、いう、しゃべる、かたる、のべる、つげる…。

という日本語の多様な動詞を、比較、分析、総合することで日本語話者が発話行為の全体像をどう認識しているかが見えてくるような気がする。

そして、同じような手続きをさまざまな言語集団に適用してみたい。
そうすれば、発話を意味する動詞の多様性は同じでも、それによって見えてくる発話行為の全体像、ひいては言語観はずいぶん違っていることが発見できるかもしれない。

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