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2012年6月16日 (土)

神さまとの交信

宇宙開闢のときに神さまが叫んだという「光あれ!」ということば。

前回の終わりのほうでは、このことばの性質をめぐって疑問が生じた。

このことばは果たして内的言語なのか音声言語なのか?

ごく常識的に考えれば、神さまともあろうものが人間どもが日常用いるような音声言語と同じ形式でことばを発するはずがない。

となれば、やっぱり内的言語によってこの世に光をもたらしたことになる。

内的言語は音声にも文字にも依存しない純粋言語、あるいは絶対言語。
音韻構造や文法構造など人間どものこざかしい分析をはるかに超えたことば。

やはり神さまには純粋言語がふさわしい。

では、この純粋言語は神さまの専売特許かと言うとそうでもなさそうだ。

げんに、人間にも内的言語が存在していることをわたしたちは経験的知覚として知っている。
前回の同時発生説に立つ人はこの知覚を錯覚だというかもしれないが、私はやはり内的言語先行説の肩を持ちたい。

わたしたちは内的言語、純粋言語を神さまと共有しているのだ。
まことに恐れ多いことではあるが…。

わたしたちは純粋言語の回路を通じて神さまと交信し対話している。
いわばテレパシーである。

神さまのことばは内的言語の形式でモーゼに伝えられた。
決して空気振動という物理現象を介して伝達されたわけじゃない。

日本神話でも、夢のお告げがよく登場する。
神さまは夢の中で、人々に語りかけてくる。

夢の中で響くことばは文字言語でも音声言語でもない。
やはり内的言語、純粋言語なのだ。

洋の東西を問わず、神さまとわたしたちのコミュニケーションは霊的言語によって行われるもののようだ。

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