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2012年5月 4日 (金)

究極の選択

このブログでは時々ありえない想定をして、みなさんを困惑させることがある。

今回もそんなパターンになりそうなので、あらかじめお詫びしておきたい。

たとえばいま、この国に超独裁者があらわれて次のような布告をしたとする。

「下々の者が話しことば、書きことばを二つながら使用するとはまことにぜいたく千万、これより後はいずれか一方のみ使用を許すこととする。1月の猶予を与えるゆえ、みなの者よくよく考えて役所に届け出るように」

大変な事態になったものだが、人々がどのような割合でどちらを選択するか、これはなかなか興味ある問題である。

みなさんならどちらを選択されますか?
そして、どんな結果を予想されますか?

やはり、つきあいの長い音声言語が多数派を占めるのだろうか?

何といっても人類史の大部分は文字などなかったのだ。
それでも結構きげんよく人間たちは暮らしていた。
竪琴をかき鳴らしながら吟遊詩人が語る英雄物語を愉しんで日々を過ごしていた。

問題は文明の停滞、退行に耐えられるかだが…。

それとも、文字言語の力に人類の未来をかけるだろうか?

情報処理、情報伝達技術の進歩によって、文字によるコミュニケーションの不便さも軽減されるかもしれない。
それに技術の進歩も文字なしではありえないのだ。
音声言語でなくテレパシーでコミュニケーションする宇宙人もいると聞く。
それと同じようなものだと割り切れば、話しことばのない生活も案外悪くないかもしれない。

さりとて、話しことばが聞こえない沈黙の社会にわたしたちが耐えられるものかどうか…。

独裁者うんぬんはたわむれの想定だけれども、アンケートのような形ででもやってみる価値はある。
人々の言語意識、言語に対する価値観が浮き彫りにされると思う。

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