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2012年4月20日 (金)

自然児と優等生のバトル(その2)

前回の自然児と優等生のバトルは容易に決着がつかなかった。

前回のバトルは、どっちが「えらい」かという価値判断を求めるものだったので、事態が紛糾したのも無理はなかった。

しかし、どっちが「強い」かという事実認定の問題なら、わりにすんなりと結論が出るのではないか?

今回のバトルの発端になったのは、NHKニュース番組の文字表記だった。

画面に登場する人物が何かを話し、それが画面下に文字として表記される。
つまり話しことばから、書きことばへの変換である。

その変換の過程で、必ず「編集」が行われる。

「あのー」とか「えーと」とかの「無意味な」(と書きことばが判断した)間投詞は削られる。
重複や繰り返しも容赦なく削られる。

その一方で、明らかに抜けていることばをカッコつきで「親切に」付け加える。

勝手に言い換えたりもする。
発言者が「野田総理は…」と言っているのに、画面下の文では「野田首相は…」と表記されている。

どうやらテレビや新聞などマスコミでは総理大臣のことを首相と呼びならわす慣例が出来上がっているようだ。
だから実際の発言を無視し、むりやりマスコミの習わしに従わせる。

そんなこんなで、あげくの果てに登場人物の発言とは似ても似つかない文章が画面下にあらわれることになる。

だからと言って、「勝手におれの話を変えてもらっては困る」というクレームを話しことばが書きことばにつけた、という話は聞いたことがない。

編集権はあくまでも書きことばにある。

さてその逆、つまり文字言語から音声言語への変換の場合はどうか?

結婚式で来賓が祝辞を述べるとき、卒業式で校長先生が式辞を述べるとき、かれらは背広の内ポケットからおもむろに奉書紙を取り出して、これを朗読する。

書きことばを一字一句忠実に音声言語に変換する。
たまにアドリブが加わることがあっても、原則として話しことばによる「編集」はあり得ない。

音声言語の優位を主張する立場から、書きことばは話しことばのしもべと言われることもある。
しかし、「編集」という視点から見たとき、話しことばは明らかに書きことばのしもべと言わざるを得ない。

話しことばは書きことばの編集権にたてつくことのできない弱い立場にある。

かくしてどっちが「強いか」の問題はわりに簡単に結論がでた。
しかし、「強い」ことが即「えらい」につながらないところに、ことばの世界の奥深さがある。

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