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2012年4月 6日 (金)

自然児と優等生

前回、ラカンの難解文と格闘する中でふと浮かんできたのが、書きことばと話しことばの対照だった。

文字言語と音声言語の対照は、たとえばNHKテレビのニュース画面を見ていても実感することができる。

民放のテレビ画面における文字の跳梁については、このブログで言及したことがある。
もうずいぶん昔のことだから、みなさんご記憶にないのも無理はないけれど…。

本当なら、そのあと民放との対照でNHKについても触れるはずだったのが、なぜか話があさっての方向に飛んでしまったので、そのままになってしまった。

あれから何年も経て、思いがけなくもとの地点に戻ってくることになった。
感無量と言わざるを得ない。

あのとき、言いたかったのはこういうことである。

全部が全部というわけではないが、NHKのニュース画面では登場人物の発言が画面下に文字として表示される。
この場合の声による発言とその文字化された表示を比べてみると、文字言語と音声言語の特性のちがいにあらためて深い感慨をもたざるをえない。

画面下の文字表現は、登場人物の発言をありのままに文字化したものではない。
そんなことができるはずがない。

一口にいって、話しことばはでたらめだ。

話しことばはしばしば言いまちがいをする。理屈に合わないことを言う。
話しことばは重複が多いかと思えば、肝心なことを抜かしてしまったりする。
意味のない「あのー」とか「えーと」などの間投詞がひんぱんに混じる。

こんな話ことばを聞きながら、書きことばはぽつりとつぶやく。
「まったく話しことばって奴はどうしようもないな…」

そして、こつこつと「編集」をする。

足らざるところを補い、重複を削除し、不適切なことばを言い換え、話の筋が通るように整え…。

しかるのち、ようやく画面下に変換された文字言語が表示される。
なるほど書きことばによる「編集」のおかげで、文字言語としての体をなしている。

「どう、これなら文字言語として恥ずかしくないでしょ」
書きことばが胸を張っているさまが目に浮かぶ。

あらためて音声言語と文字言語の対照を思う。

話しことばはなにものにも縛られない自然児なのだ。
気まぐれで、でたらめで、それでいて生き生きとしている。

書きことばは「規範」を何よりも尊ぶ優等生だ。
お行儀はいいけれど、融通がきかず堅苦しい。

NHKのニュース画面を見ていると、荒野を自由に走り回る自然児とそれを追いかけて何とか型にはめようとする優等生の姿がつい目に浮かぶ。

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