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2012年4月28日 (土)

文字言語の嫉妬

前回わりに簡単に結論が出たように、書きことばは話しことばよりも強い。
何しろ編集権を手中に収めているのだから。

しかし強者である文字言語が弱者である音声言語に注ぐまなざしは複雑だ。

たしかに書きことばから見れば話しことばなんて欠陥だらけだ。
話しことばをテープに取りそれをありのままに文字化したものを読んでみると、そのことがよくわかる。

そのでたらめさ加減に唖然としないではいられない。

それでいて、わたしたちの日常の暮らしの中では話しことばは依然として主役を務めている。
主役の座を降りようとする気配もまるでない。

こんなにも不完全、不正確な音声言語がなぜ、どうしてコミュニケーションの主役を張れるの?
文字言語は内心穏やかでないはずだ。

おれたち書きことばの働きがなければ、人間の文化や文明は成り立たない。
そのことは人間だって分かっているはずなのに、人間たちは話しことばに対して妙になれなれしい。

その反面、自分たち書きことばに対してはどこか距離を置いたような、構えたような態度が見え隠れする。
文化や文明のためにこれほど貢献しているにもかかわらず…。

わたしたちの日ごろの言語生活を内省してみると、この文字言語のひがみもわからぬではない。

たしかに、わたしたちはまるで空気を呼吸するのとおなじように、屈託なく話しことばをやり取りする。
それに対して、手紙であれメールであれブログであれ、文字による表現になるとひと呼吸置いて慎重にならざるを得ない。

話しことばは熱いことば。
書きことばは冷たいことば。

わたしたちはどこかでそう感じている。
たしかに、話しことばは熱い吐息とともに口から発せられる。

音声言語は生命力にあふれたことば。
文字言語は干からびて静止したことば。

そんな風にも思っている。

規範に忠実な優等生が自由奔放にふるまう自然児に対して時として感じる羨望と嫉妬…。
それと同じ屈託が書きことばにもあるのかもしれない。

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