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2012年3月16日 (金)

「わける」と「わかる」

前回記事では、「分節する」というふだんあまり使うことのない漢語を用いた。

この語は平たく言えば、つまり和語で言えば「分ける」ということである。

天地開闢の時、この世界は時間も空間も未分化のカオスだった。

「これでは人間たちも立つ瀬があるまい」

そう考えた神さまは、世界を「分ける」作業に着手した。

手始めに「昼」と「夜」を分け、「天」と「地」を分けた。

分けた証拠に、それぞれことばを与えた。
名付けをした。

さらに、「地」を「海」と「陸」に分け、「陸」を「野」と「山」に分け…。

こうして、神さまがえんえんと「分ける」作業をしてくれたおかげで、ようやく人間の居場所が定まった。

世界に秩序が生まれ、わたしたちにとって世界は認識可能なもの、つまり「分かる」ものになった。

わたしたちは「分ける」から「分かる」。
直面する対象や事態をうまく「分けられない」ときは「分からない」と口にする。

漢語を用いて言いかえれば、「分類する」という行為と「理解する」という認識レベルの関係が、同じ語の他動詞形と自動詞形というかたちでうまく言いあらわされている。

そこへいくと、英語では「分ける」という意味に当たる語(たとえばdivide)と、「分かる」という意味に対応する語(たとえばunderstand)とは、日本語のような類縁関係をもっていない。
語形を見るかぎり、「分ける」という意味の他動詞と「分かる」という意味の自動詞は次元を異にしている。

英語における「分かる」と「分ける」の関係は日本語ほど「分かり」やすくはないようだ。

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