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2012年2月24日 (金)

語感の威力

「げじげじ」という虫がいる。
あまり好きな人はいない。

辞書によると本来は「げじ」の2音節語なのだそうだ。

しかし、多くの人は「げじ」では飽き足らず「げじげじ」とたたみかけて呼ぶ。
ただでさえ嫌われる濁音のオンパレード!

おそらく「げじげじ」という音声に対する身体反応と、あの虫に出会ったときの身体反応が合致しているのだ。
だから、「げじげじ」はあの虫の名前として定着した。

ここから派生して、「人から嫌われる者、憎まれる者」の意味も獲得した。

「げじげじ」君にしてみればまことに気の毒な話であるが、これが語感の威力である。
なにしろ身体性の裏打ちがあるから強いのだ。

これは語感から出発して意味獲得に至るプロセスの日本語における例だけれども、他の言語たとえば英語ではどうだろうか?

と思って、辞書で調べてみると「house centipede」となっていた。
「げじげじ」に比べると、この語の語感はあの虫とうまく結びつかない。

どうも日本語と英語では、対象への言語的アプローチにちがいがあるようだ。

対象が物理音を発しているのなら、すぐさまそれを取り込んで擬音語、擬声語として用いる。
対象が物理音を発していないのなら、今度は語感の威力を利用して「げじげじ!」と言い切ってしまう。

これに対して英語では、対象にやや距離をおているように感じる。
冷静に分析したうえで、最適な言語表現を見出そうとする。

どちらがいい、というものではない。
言語圏によってものの見方に違いがある、ということなのだ。

ところで、語感の威力は意味獲得にあるだけではない。
反対に、意味からの解放という離れ業を演じることもできる。

たとえば女の子の名前には表音文字だけで表記する名前が珍しくない。

少し前に登場した「りか」ちゃんなんかがその例である。
表音文字で表記された名前は、日本語の体系の中では意味を持たない。

しかし、その語感はクールで知的なイメージを喚起する。
「りか」ちゃんの名は語感が支えているのだ。

「里香」ちゃんや「梨花」ちゃんには表意文字によって示される限定的な意味がある。
しかし、「りか」ちゃんになるとその限定的な意味から解放される。

「りか」ちゃんだけでなく、「まなみ」ちゃんや「ななみ」ちゃんも意味から解放されて自由な感覚の世界に飛び立ってゆく。

語感の存在がそれを可能にする。

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