« 困難な道 | トップページ | ことばと語感(その2) »

2012年2月10日 (金)

ことばと語感

語感、ということばがある。

辞書では「そのことばから受ける感じ」、「ことばが与える印象、ニュアンス」なんて説明が出ている。

何となく漠然とした表現である。
もっとも、その漠然としたところが語感の語感たるゆえんかもしれない。

どんな人でも語感をもっている。
そして、その語感はある言語集団によって共有されている。

前々回取り上げた擬態語はこの語感の存在の上に成り立っている。
現実の物理音と対応していない擬態語が特定のイメージを喚起できるのは、この語感の作用によるのだと思う。

「しんしんと雪が降り積もる」
「ようやく雪がやみ、空がからりと晴れ上がった」

「しんしん」、「からり」という物理音などどこからも聞こえない。
それは自然界とはかかわりのない言語音に過ぎない。

それでいて、音もなく雪が降り積もるさま、明るい日差しが降り注ぐさまが目に浮かぶ。
日本語話者の間で共有されている語感がそのことを可能にする。

語感の作用は、擬態語を離れたところでもはたらいている。

たとえば、「りか」ちゃんという女の子の名前がある。

「里香」あるいは「梨花」と漢字表記をすれば、名前の意味ははっきりする。
げんに、こんな名前の女の子も多い。

しかし、この名は「リカ」、「りか」と表意文字を離れても成立可能だ。
「香山リカ」さんのように…。

「リカ」、「りか」は日本語としては意味を持たない。
しかし、知的でクール、という語感の作用がはたらいている。
だから、名前としての価値はあるのだ。

「まなみ」ちゃんという名も同じ。
「真奈美」もあるけれど「まなみ」も名前としてりっぱに通用する。
その鼻音の連なりが柔和で優美な印象を人に与える。

人の言語音はかならずしも価値中立的ではない。
清音、濁音という言い方そのものに価値判断が含まれている。

そして、その価値判断のもとには語感が存在している。

だとすれば語感とは一体何だろう?
語感はどのように成立し、人々の間で共有されていったのだろう?

|

« 困難な道 | トップページ | ことばと語感(その2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 困難な道 | トップページ | ことばと語感(その2) »