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2012年1月 6日 (金)

ことばの境界域

喜怒哀楽、ということばがある。
人間は感情豊かな生き物なのだ。

その感情を身体全体で表現せずにはいられない。
手をたたき、足をふみならし、頭を振り乱す。
太鼓をたたき、笛を吹き、もちろん歌を歌う。

人は愉快だと言っては、腹を抱えて大声で笑う。

人は悲しいと言っては、顔を覆って泣き崩れる。
その泣きかたも、号泣、しのび泣き、むせび泣きなどまあそのバリエーションの多彩なこと。

かと思えば、何か腹の立つことでもあればどなり散らして手がつけられなくなる。

まったく、人間は地球上でもっとも騒々しい生き物だ。
もぐらのおじさんの論評は正しいと言わざるを得ない。

犬や猫には快不快の感覚はあっても、感情はないと思う。
かれらは鳴くことはあっても泣くことはない。
アリスの猫は笑ったかもしれないが、現実の猫は笑わない。

喜怒哀楽に伴って発する音声は、人間独自のものだ。
だからと言って、それが「ことば」だとは普通だれも思わない。
音声があり、意味もありながら「ことば」だとは思わない。

なぜなら、その音声も意味も分節の度合いがきわめて低いからだ。
つまり、言語以前の音声である。

ならば、次のような場合はどうか?

9回裏3-0で敗色濃厚なチームが2死満塁でホームランを打った時、観衆からあがる「あーっ!」という歓声または悲鳴。

あるいは、夜更けにいきなり幽霊に出くわしたときにあげる「キャーッ!」という叫び声。

これらの「あーっ!」や「キャーッ!」も、分節度から言えば喜怒哀楽と同様きわめて低い水準にある。
しかるにこれらの叫び声は時として「間投詞」と名付けられ、「ことば」としての待遇を受けることがある。

「あーっ!」や「キャーッ!」がことばと言えるなら、笑い声や泣き声をことばとみなしてもおかしくないことになる。

人の笑い声や泣き声、あるいは「あーっ!」や「キャーッ!」は、それぞれの言語圏を超えて人類共通のものだろうか?

それとも、言語や文化が異なれば微妙に違ってくるのだろうか?
たとえば、夜更けのリューベック、石畳の小路の曲がり角でいきなり幽霊に出くわしたとき、ドイツ語圏の人々はどんな叫び声を上げるのだろうか?

日本語話者と同じく「キャーッ!」なのか?
それとも、何か別の叫び声なのか?

もし同じでないとすれば、「キャーッ!」が言語であることの有力な傍証になる。

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