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2012年1月20日 (金)

暗黙の了解(その2)

このところ愚考を重ねてきたことだけれども、日本語はなぜこんなにもオノマトペが豊かなのだろう?

それは日本語話者が他の言語圏の人々よりも「暗黙の了解」が得意だったから。

というのが前回の最後、確信の持てぬままに提出した回答であり仮説だった。

勢いよくドアのしまる音、万年筆が机の上に落ちる音を言語によって正確に再現することなどできるはずがない。

そのできるはずのないことを日本語話者はやろうとする。
強引に無理を通そうとする。

その無理は「暗黙の了解」という秘密の通路を通って人々の間を行き来する。

「ほんもの」を再現するのが不可能なら、とりあえず「にせもの」を「ほんもの」と見立ててもいいじゃないか。
だれに迷惑がかかるわけじゃなし…。

ただし「にせもの」は「にせもの」なのだから、ここらへんの事情は大っぴらにしてはならない。
だから「暗黙の了解」なのだ。

「腹芸」ということばがある。
「以心伝心」ということばもある。

「言わぬが花」という戒めもある。

日本語話者のコミュニケーションにはこんな一面がある。

されば、「暗黙の了解」あるがゆえにオノマトペが発達した、という私の仮説もまんざら的外れではないと思う。

オノマトペはうまくいけば一気に事態の本質に迫ることのできる手法である。
しかし見方によってはこれほど欺瞞的な表現技法もない。

このような危なっかしい表現を使ってまで、なぜ日本語話者は物理音を再現したかったのだろう?

というのが、もうひとつの素朴な疑問である。
この点についても自問自答してみたい。

西欧諸語の人々は、神さまの声に耳を傾ける。
そして神さまのことばを忠実に再現することに情熱を傾ける。
そのかわり、自然界の物理音にはさほどの関心を示さない。

これに対して、日本語話者はいつも自然界の物音に耳を澄ましている。
そして、風の音や虫の音、ドアに閉まる音を忠実に再現することに情熱を傾ける。
そのかわり、神さまのことばは適当に聞き流している。

という対比がひとまず思いついた私の答えだけれど、ご賛同いただける方は少ないかもしれない。

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コメント

>このような危なっかしい表現を使ってまで、なぜ日本語話者は物理音を再現したかったのだろう?

母音だけでも意味のある単語を形成するという日本語の特性ゆえに、風の音・雨の音・虫の声を「音」ではなく言語として聞くから言語として表現する、ということではないでしょうか。

>西欧諸語の人々は、神さまの声に耳を傾ける。
そして神さまのことばを忠実に再現することに情熱を傾ける。
そのかわり、自然界の物理音にはさほどの関心を示さない。

ヨーロッパの国々もキリスト教化される前はほとんどの地域が多神教で、日本の古代信仰とさして変わらない状況だったと思います。そしてその当時既にギリシア語、ラテン語、ゲルマン語、スラブ語などが成立していたのですから、信仰と言語と結びつけるのは無理があるかと思います。

投稿: 銀の国 | 2012年5月20日 (日) 12時13分

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