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2012年1月14日 (土)

暗黙の了解

空中高さ10センチのところから、机の上に万年筆を落とす。

当然、小さな、軽い衝撃音がわたしたちの耳に届く。

わたしたちはその事態を言語化しようとする。
比喩的な言いかたをすれば、「描こう」とする。

たとえば、「万年筆が机の上にコトリと落ちた…」

実際にわたしたちの耳に届く衝撃音は、「コトリと」という言語表現、文字表現であらわされる言語音とは似ても似つかない。

にもかかわらず、オノマトペを用いたこのような表現が大手を振ってまかり通っている。

前にもお話ししたように、そこには「暗黙の了解」がある。

みんなが「にせもの」と知っているのに、それに気付かないふりをして「ほんもの」として扱う。
そして、だれもそのことには触れない…。

そんなことって、さまざまな分野であると思う。
それと同じ。

オノマトペはそんな「暗黙の了解」の上にかろうじて成り立っている。
本当は実に危なっかしい表現手法なのだ。

だから、うまくいけばいきなり事態の本質に迫ることもできるけれども、むやみに多用するべき技法ではない。

そういう自戒とともにあらためて思うのは、どうして日本語はこんなにオノマトペに恵まれているのか、という疑問である。

日本語はただでさえ言語音の種類が少ない。
世界最少の部類に属する。
その少ない言語音でなんとかやりくりしているのが日本語の実情なのだ。

それでいて、無数の物理音を日本語の言語音で表現しようとする。
できもしないことを承知で、表現しようとする。

無謀というべきか、チャレンジ精神旺盛というべきか…。

それとも、例の「暗黙の了解」というものが、日本語話者は他の言語圏に比べてうんと得意だったのだろうか?

みなさんはどう思われますか?

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コメント

はじめまして。4ヶ月も前の記事へのコメントで申し訳ありません。

日本語にオノマトペが多いのは、母音が多く、しかも母音だけで成り立つ単語もあるため、日本語母語話者は自然界の音も言語として左脳で処理するからだという説があります。
確かに日本語話者のコミュニケーションは暗黙の了解に頼る部分が大きいと思いますが、それとオノマトペが豊富であることは無関係であると思います。

投稿: 銀の国 | 2012年5月20日 (日) 11時43分

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