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2011年12月 2日 (金)

オノマトペの正体(その3)

擬音語、擬声語、擬態語を総称して、英語をはじめとする西欧諸語では「オノマトペ」という。
その源は古代ギリシャ語に発する。

そんな豆知識みたいなものを前回ちょっとお話しした。

ところで、わがほうで用いられている擬音語、擬声語、擬態語ということばはもちろん漢語である。
漢語というのはありていに言えば中国語である。

「赤ちゃんがわあわあ泣いている」
「かれはバタンとドアを閉めて出ていった」
「秋の日もとっぷり暮れ…」

などの状況表現に用いられる語をわたしたちは中国語でもってあらわしているのである。

では、これに対応する和語はないのか?
よそから借りてきたことばでなく、自前のことばであらわせないのか?

あえていうならば、「まねことば」だろうか?
それくらいしか思いつかないし、思いついたとしても「擬音語、擬声語、擬態語」には勝ち目がない。
本居先生ならこれらの漢語に十分太刀打ちできる和語を開発したかもしれないが…。

前にも少しお話ししたように、日本語話者は古来ことばにたいして自覚的、分析的ではない。
ことばを対象化し、それを分析して記述することがすこぶる苦手なのだ。

年寄りの繰り言みたいになってしまった。
ないものねだりはもうやめよう。

擬音語、擬声語、擬態語を総称して、英語をはじめとする西欧諸語では「オノマトペ」という。
しかし、擬音語、擬声語と擬態語はまったくちがう。

そんなこと、外界に耳を傾ければすぐにわかる。
「わあわあ」や「バタン」という物理音は聞こえても「とっぷり」などという音はどこからも聞こえてこない。

それなのに、西欧諸語では「オノマトペ」のひとことで片づけてしまう。
外界や自然界に対する関心が低いからそうなる。

その点、漢語はこの現象を3つに分類することができる。
現象に対する分析の度合いは西欧諸語に優っている。

じゃあ、中国語話者は外界や自然界に対する関心が高いのか、となるとそう結論づけるのも早計だ。
漢字が持つ分析機能のおかげで結果的に分析度が高まったとも考えられる。

では、われらが「まねことば」はどうか?

擬音語や擬声語は物理音の模倣だから、「まねことば」で文句あるまい。

では、擬態語はどうか?
これがなかなか微妙なのだ。

一概に「まね」でないとも言い切れない。

「雪がしんしんと降っています」

「しんしん」という物理音はどこからも聞こえてこないけれど、この言語音は夜更けに雪の降りしきるさまとどこかつながっているような気がする。

「坊やはプレゼントをもらってにこにこ上機嫌!」
「にこにこ」という物理音はどこからも聞こえてこないけれど、この言語表現は坊やの心理状態とどこかつながっているような気がする。

いくら言語記号と言語表現の関係は恣意的といっても、「にこにこ」を「がみがみ」に置き換えることはできないと思う。

擬態語をめぐる現象を眺めていると、意味と音感の秘められた関係が見えてきそうな気がする。

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