« オノマトペの正体(その4) | トップページ | オノマトペの誕生(その2) »

2011年12月18日 (日)

オノマトペの誕生

自然界は「音」に満ちている。

見上げれば、空では小鳥たちのさえずりがかまびすしい。
木枯らしは、木立を吹き抜けて寒々とした葉ずれの音を残してゆく。

波打ち際に立てば、潮騒のとどろきが海の彼方への思いをかきたてる。
「わたしの耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ…。」
そう歌ったのはコクトーだったっけ?

夜のしじま、ということばがあるけれど、夜だってまったくの無音というわけではない。
梅雨時になればかえるたちの合唱が夜空に響くし、秋の夜更けには虫の音を愉しむことができる。
村のはずれからオオカミの遠吠えが聞こえてくれば、心細い一夜を過ごさねばならない。

わたしたちにはそんな自然界の音をまねしてみたい、という衝動がある。
自然界をあますところなく描写してみたい、という欲望がある。

道端で猫に出くわすと、私はつい「にゃあ」と話しかけてしまう。
たいていの場合、猫はけげんな表情をしてそそくさと立ち去ってしまうのだが…。

ごく自然に口に出る私の「にゃあ」は、太古から受け継がれてきた欲望に支えられている。
オノマトペはそんな心理機制のもとで誕生したのだと思う。

田んぼでは蛙たちがゲコゲコと下手な合唱を披露し、鈴虫はリンリンと秋の夜長を鳴きつくす…。
日本語は「まねことば」に満ちている。

前にもお話ししたように、日本語話者は自然界とことばの世界の間に垣根を作らない。
だから、自然界の物理音が言語音に変換されてよどみなく言語表現の世界に流れ込む。

その点、西欧諸語の場合、人と自然界との間に垣根がある。
その垣根の実体は「神さま」だ。

西欧諸語の話者の意識は神さまに向かっている。
世界を創造した神さまには関心が高いけれど、神さまの被造物とされる自然界に対しては二次的な関心しか向けられない。

オノマトペが日本語で花盛りなわけ、西欧でオノマトペが貧弱なわけがこれでわかる。

|

« オノマトペの正体(その4) | トップページ | オノマトペの誕生(その2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« オノマトペの正体(その4) | トップページ | オノマトペの誕生(その2) »