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2011年10月 2日 (日)

命名のスタイル(その3)

ある年の秋も深まったころ、私はひとり紀州山中の奥深くに分け入っていた。
人跡未踏、というほどではないが、めったに人の通らないけものみちである。

心細い気持でとぼとぼ歩いていると、かたわらの草むらがごそごそと動いて見慣れぬ動物がぬっと姿をあらわした。

オオカミに似ているが、オオカミではない。
たぬきに似ているが、たぬきでもない。
猫に似たところもあるが、猫でもない…。

という状況を想定してみたい。

私は一目散に山を駆け下りて、この大発見を人々に知らせなければならない。
知らせる先は交番なのか保健所なのかテレビ局なのか、よくわからないがとにかく知らせなければならない。

当然大騒ぎになるが、長くなるのでその一部始終は割愛して騒ぎが一段落したところから話を再開したい。

まずしなければならないのは、この動物に名前をつけることである。
私は日本における未知の哺乳動物の第一発見者であるから命名の権利がある。

さて、このけものに対してどんな名をつければいいだろう?
どのような名付けも自由なのだ。
みなさんだったら、どうします?

エネルギー節約が求められる世の中だ。
発音に要するエネルギーもできるだけ少ない方がいい。

ということであれば、たとえば「ろ」のように1音節の名前をつけるというアイデアがある。
しかし、1音節では偶発的に発せられる音とまぎらわしいという難点がある。
1音節では単語として体をなしていない、という批判もあるだろう。

しからば、2音節ではどうか?
「ろ」のあとに「も」を付加して、「ろも」というのはどうか?
これなら、筋肉や舌の動きも少なく発音エネルギーの消費を抑えることができる。

さいわいこの2音節の音連続は、現在のところ日本語として特定の意味に対応していない。
つまり、意味の空席である。

であるからして、第一発見者の私としてはこの動物を「ろも」と名付けたい…。

というような主張が果たして世間で通用するものかどうか?

さすがの私もこのような命名が世間で通るとは思っていない。
世間とは妥協しなければならない。

結局のところ、「キシュウオオカミモドキ」のような既存の語を組み合わせた説明的な名前に落ち着くことになる。

記憶に新しいところでは、西表島で発見された「イリオモテヤマネコ」の例がある。
「イリ・オモテ・ヤマ・ネコ」と複数の基本語彙を組み合わせることによって、発見の事情とその動物の特性を表現するのである。

第一発見者の私でも、「ろも」のようにまったく新たな基本語彙を作ることは許されない。

未知の動物に第一発見者が命名をする。
その名付け方はまったくの自由だ。

と上では書いたけれど、実はそうではない。
既存の基本語彙の体系を逸脱する自由はないのだ。

わたしたちは日ごろ自由にことばを操っているように思っているけれども、それは幻想にすぎない。

ことばは、人間が地球上に姿をあらわした時にはすでにひとそろい用意されていた。
わたしたちにできることは、せいぜいそれらを組み合わせたり変形したりすることだけである。

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