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2011年10月 8日 (土)

命名のスタイル(その4)

ことばは、人間が地球上に姿をあらわした時にはすでに用意されていた。
わたしたちにできることは、せいぜいそれらを組み合わせたり変形したりすることだけである。

というのが前回の結論だったけれど、この結論は実はまちがっている。

宇宙開闢のとき、神さまは虚空に向かって「光あれ!」と叫んだ。
すると光があった。

「創世記」には、そんなふうに記されている。

そして、神さまは光を「昼」と呼び、闇を「夜」と呼んだ…。

たしかに、人間が生まれるはるか前からことばは存在し、神さまはそのことばによって世界を創造した。
しかし神さまはあまりにも多くの存在を生み出したため、いちいち名付けをするのが面倒になった。

だから、命名作業の一部をアダムにまかせた。

つまり、2段構えなのである。
この世に存在するものごとの基本的な部分は神さまが、残りの部分はアダムが名付けを担当した。
そういうことだと思う。

こいつは「ひつじ」、こいつは「いぬ」、こいつは「くま」…。
アダムは基本語彙の制約を受けることなく、目の前に連れてこられた生き物に好き勝手に命名することができた。

それにひきかえ紀州山中で新種の哺乳動物を発見した私には、この動物に「ろも」と名付ける自由はない。
せいぜい「キシュウオオカミモドキ」と既存語彙を組み合わせることでみなさんのご理解をいただくしかない。

それにしても、神さまはどのようなことばで世界を創造し、アダムは何語で動物たちを名付けていったのだろう?
興味がある。

日本語でないことはたしかだし、ヘブライ語だったというわけでもあるまい。
答えが見つかる問題ではないが、神話的言語がどんなものだったか想像してみるのは楽しい。

ところで、アダムはけものや鳥たちを名付けるにあたって何か基準のようなものを持っていたのだろうか?
それとも、まったくの思いつき、でたらめ、きまぐれ、つまり恣意的に命名していったのだろうか?

この点は、ことばというものの基本的な性格にかかわることだからぜひともアダムに問いただしておきたいところだが、今となってはそれもかなわない。

アダムが命名した「たぬき」。
そして、私がしぶしぶ命名した「キシュウオオカミモドキ」。

同じ動物の名前でも、ことばとしての性質はまったくちがう。

「たぬき」とあの動物との関係は約束事だから、約束を変えれば「きつね」と呼んでもかまわない。
しかし、「キシュウオオカミモドキ」は対象となった動物の本性と深く結びついている。
だから、気軽に変えることなどできない。

アダムは記号表現と記号内容を自由に結びつけることができた。
しかし、わたしたちにはせいぜい記号内容をこつこつ記述することしか許されていない。

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