« 乗り物と名前(その2) | トップページ | 台風と名前 »

2011年9月 5日 (月)

乗り物と名前(その3)

前回は船と車の名付けのちがいを説明しようとして暗礁に乗り上げたところで終わってしまった。

うまい説明が思いつかず、ほとほと困り果ててしまった。
船の話などするから暗礁に乗り上げてしまうのだろうか?

それでも、ここまで来たのだからとことん説明を試みてみよう。

英和辞書によれば、船の命名式は「baptism」だそうだ。
また、船に名付けをすることは「christen」という動詞であらわされる。

人に対する洗礼と同じ語が用いられている。
私はクリスチャンではないが、その気持ちはわからぬでもない。

むかしの人にとって、船で海を渡ることはいまと比べてはるかに危険で不安に満ちた旅だったにちがいない。
外航船だけでなく、近海で漁をする小さな漁船だって同じことだ。

板子一枚下は地獄…。
船がひっくりかえれば、一蓮托生。

そんな感覚はみんなが持っていた。
だから、船が進水する時、洗礼と同じように名を与え神さまの祝福とご加護を願った。

非キリスト教圏だって、船の旅が危険と不安いっぱいだったことには変わりがない。
だから人と同じように名を与えて、神仏の加護を祈願した。
名前がなければ神さま仏さまだって、どれを護っていいのかわからない。

では車はどうか?

自転車にしろ自動車にしろ、近代に入ってから発明された乗り物である。
だから、車による旅の安全は神さまではなく科学技術によって守られている。

そこには、神さまの出る幕はない。
つまり、神さまが護る対象として個別の名は必要がない。

船は神仏が護る乗り物である。
車は科学技術が護る乗り物である。

船と車の名付けのちがいの理由はここにある…。

やれやれ、ようやく納得のいく説明にたどり着くことができたようだ。
この説明なら、古代ローマの伝統など持ち出さなくてもすむ。

いまにして思えば、そもそも「愛」なんて曲者を持ち出したのがまちがいのもとだったのだ。

やはり「愛」はこわい。
みなさんくれぐれも気をつけてくださいね。

|

« 乗り物と名前(その2) | トップページ | 台風と名前 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 乗り物と名前(その2) | トップページ | 台風と名前 »