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2011年8月28日 (日)

乗り物と名前(その2)

人は愛するものに対しては名付けをしなくてはいられない…。

前々回、そんなお話をした。

ところで、この「愛」というのがなかなかの曲者だ。

「呼ぶ」という動詞の意味を考えたとき、その中に名付ける、命名するというのがあった。
「呼ぶ」という動詞の原義には権力意思がひそんでいるというのがその時の発見だったから、名付けや命名という行為にも、多かれ少なかれ権力への志向が含まれている。

その権力志向は、対象を一人占めにしたい、独占支配したい、という欲望となってあらわれる。
たとえ愛する本人が意識していなくても、無意識のレベルでその欲望はうごめいている。

独占支配するためには、その対象を特定しなければならない。
だから、固有の「名」が必要になる。

こうして、わが家の愛犬には「ポチ」や「ムサシ」や「ハチベエ」の名がつけられることになる…。

ここまでは、わりにすんなりと納得がいく。

しかし、対象が船や車になると話がややこしくなる。

「愛車」ということばはあっても「愛船」という表現は聞かない。
車は独占支配が可能だが、船になるとそれはむずかしい。

車に比べて、船は愛の対象にはなりにくいのだ。
それなのに、船には固有の名前がつけられ車にはそのことが行われない。
どうしてだろう?

冒頭にあげたテーゼはわれながら気が利いていると思ったのだけれど、どうやらここへきて破綻したようだ。
気を取り直して別の説明を考えよう。

車はプライベート利用が多いのに対して、船はどちらかといえば公共的な乗り物だ。

欧米では、公共施設に対してそれにちなんだ名前をつけるのは古代ローマ時代からの伝統だそうだ。
アッピア街道、ユリウス会堂、クラウディウス水道…。

いずれも、寄付金を出すなど施設整備に貢献した人の名が冠されている。

前回、軍艦に人間の名をつけるとは何たること!と日本語話者としての驚きを表明したけれど、こういう伝統があると知れば納得がいく。

「ジョン・F・ケネディ空港」や「シャルル・ドゴール空港」など公共施設に個人名を冠することに抵抗がないのも、この伝統を考えれば無理もない。

古代ローマの伝統は、無形物にも及ぶ。
法律にも、「ユリウス農地法」のごとくつねに提案者の名が冠せられたとのことだ。
そういえば、今日のアメリカでも「マスキー法」のようにこの伝統が受け継がれている。

日本ではそんな話は聞いたことがない。
小選挙区制を取り入れた公職選挙法に「小沢選挙法」なんて名付けをすればどうなるか?
まとまるものもまとまらなくなる。

船に対する個別の名付けは、この古代ローマの伝統に基づいている。

と結論づけたいところだが、じゃあ日本の船はどうなのだ、これもローマの伝統とは笑止千万!という反問がただちに返ってきそうだ。

いやはや困った…。
日本の船の名付けの歴史まで調べなければならないとは。

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