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2011年8月14日 (日)

愛と名前

前回は、あじさいの一輪一輪に名前をつけて毎朝語りかける花好きのおばさんが登場した。

この人はあいじさいにこまやかな愛情を注いでいる。
花の一輪一輪にいのちが宿っているのに、そのすべてを「あじさい!」の一言で片づけてしまう私とちがって。

花に名付けをする人は少ないけれども、家で飼っているペットにはみな当たり前のように名前をつけている。

飼い犬をただ「いぬ」で片づけている人はいない。
自分の子と同じように、けっこう頭を悩ませて「ムサシ」とか「ハチベエ」とか名付けている。

漱石の猫には名前がなかった。
けれども「名前はまだない」のであって、飼い主としてはいずれ名付けをする心づもりだったのだと思う。

人は愛するものには名付けをしなくてはいられないのだ。

「種」としての生命と「個」としての生命。

この生命のふたつの存在様式のことが、このブログでは最近よく顔を出す。

紫陽花のすべてを「あじさい」の一言で片づけている私は、対象を「種」のレベルまでしか認識していない。
しかし、花好きのおばさんはさらに「個としての生命」まで感知することができる。
それだけ、認識の解像度が高い。

愛の対象は「種」ではなく「個」に向かうものだ。
こうして、愛するもののためにひとつだけのかけがえのない名付けが行われる…。

時として、人間の愛は無生物にも及ぶ。

洋の東西を問わず、船には個別の名前がついている。

リビア沖に展開するフランス海軍の航空母艦は「シャルル・ド・ゴール」。
堀江さんのヨットは「マーメイド号」。
垂水漁港につながれている名もないような小さな漁船にも、よく見れば「第三勝栄丸」なんて名前がちゃんとついている。

人は船に対して感情移入しやすいのだろうか?
船には大小を問わず人格に見まごう風格があるのだろうか?

同じ乗り物でも自動車にはふつう個別の名前は付いていない。

「うちの車はベンツです」と威張ったって、これはメーカーの名前に過ぎない。
「うちの車にはタケシって名前をつけて可愛がっています」と言う人は少ない。

「愛車」と言うくらいだから、マイカーは十分愛の対象になる。
しかし、船とちがって固有名はつけてもらえない。

人は船に対しては「個」のレベルまで認識することができるけれども、車に対しては「種」レベルでとどまってしまう。
同じ乗り物でも、船と車とでは認識のあり方がちがうのだろうか?

名前をめぐって考えているうちに、こんな疑問に突き当たってしまった。
どうでもいい疑問、と思う人も多いかもしれないが…。

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