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2011年7月11日 (月)

「呼びかけ」の本義(その4)

仏教の「称名」における「称」は、和語では「たたえる」なのか、それとも「となえる」なのか?

辞書を引くと、「称」には「となえる」も「たたえる」も出ている。

み仏の名を「となえる」。
み仏の名を「たたえる」。

どちらも人としてりっぱな行いである。

ただし、「となえる」は英語の「call」と意味が近い。
だから、キリスト教の神さまの場合、「たたえる」はよくても「となえる」はまずいのではないか?

たしかに、前回登場した十戒でも和訳では「主の名をみだりにとなえてはならない」と表現されている。
対照的に、神さまを「たたえる」歌つまり讃美歌はしょっちゅう教会の中で響いている。

「となえる」の目的語は「名」である。
名前を知らないと「となえる」ことはできない。

しかし、「たたえる」対象は神さまの威厳であり栄光である。
人々がその名を知らなくても、神さまを「たたえる」ことはできる。

かくして人間と神さまの関係を考えるとき、「名」のあり方は重要な要素になる。

では、神さまには人間と同じように名前があるのか?

人間と同じかどうかはともかく、少なくとも日本古来の神さまには名前がある。
そもそも古事記は神さまの名前の羅列からはじまる。

天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神…。
アマテラスやオオクニヌシの名は子どもでも知っている。

古事記には一体何人、おっと何柱の神さまが登場するのだろう。
将来ひまができれば数えてみたい。

仏教の世界にも無数の仏さま、如来さま、菩薩さまがいてそれぞれに名前がついている。
日本の神さまの名は神主さんがあげる祝詞の中に出てくる程度だけれど、仏教では念仏や称名がふつうに行われている。
私だって、「なまんだぶ、なまんだぶ」と唱えたりする。

ギリシャ・ローマ神話の世界でもおぼえきれないほどたくさんの神さまの名が登場する。
アキレス、ビーナス、クロノス、トリトン、ヘルメス、アポロ…。

これらの名は、今日でもさまざまな会社や商品の名に活用されていてわたしたちに親しまれている。

余談になるが、日本神話にしてもギリシャ・ローマ神話にしても、そこに登場する神さまはみな人間くさい。
人間と同じように笑ったり、泣いたり、けんかしたり、嫉妬したり、酔っぱらったり…。

要するに神さまと人間との垣根が低い。
だから親しみやすい。
だいいち、日本でも古代ローマでも英雄は死後神さまになれるのだ。

ひょっとすると日本の神さまや仏さまには、「呼ぶ」という動詞を使ってもばちが当たらないかもしれない。

そう、日本では神さまは人を呼び人も気安く神さまに呼びかける。
トイレの神さま、まじめにお掃除をするのでどうかわたしを美人にしてください!

前々回の終りで、日本語話者は神さまを意識しないと言ったけれどもこれは不正確な表現だった。
日本では人は神さまと友だちづきあいをしている。
神さまを神さまと意識しないほど、その垣根が低いのだ。

一神教の世界では考えられないことである。

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