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2011年6月 6日 (月)

遠いことば

女の人は、子どものころから自称として「わたし」という人称代名詞をふつうに使う。

しかし、前にも少しお話ししたように男はそうはいかない。
自分のことを「わたし」と称する男の子はいない。

男性は社会人になってはじめて「わたし」を自称として採用する。
フォーマルな場で用いる自称として意識している。

つまり、「わたし」という人称代名詞はそれを口にしている「わたし」本人からでさえ遠いことばなのだ。

この点、同じ一人称代名詞でも英語の「I」とはまったく性格が異なる。

「I」は無意識に口から出る。
そのように発音ができている。
発話者の身体にほとんど密着している。

「I」という人称代名詞は発話者と一心同体である。
「YOU」という人称代名詞も目の前にいる聞き手と一心同体の感覚がある。

「わし」や「ぼく」や「おれ」という自称を用いる時に比べて、「わたし」の場合、目の前にいる聞き手との距離は確実に遠い。

フォーマルな場で用いる自称として意識されているため、聞き手の側から見れば取りすました姿勢が感じられる。
自分のことを「わたし」や「わたくし」と称する人間にはあまりお近づきになりたくない。

「わたし」にはそんな効果がある。

「あなた」や「かれ」になると、目の前の聞き手を遠ざける効果は一層強くなる。
「あなた」や「かれ」が遠称の指示代名詞でもあることは、これまでにお話しした通りだ。

つまり、「わたし」も「あなた」も「かれ」も人を遠ざける効果を持つことばなのだ。
そんなことばが、基本的な人称代名詞として日本語の中に取り入れられた。

この事実は何を意味するのだろう?

前々回の最後でお話ししたように、日本語の世界では「わたし」も「あなた」も「かれ」も溶け合ってひとつになる関係が理想である。

人と人との間に垣根がなく、渾然一体となった関係。

そんなイメージから、少し前にお話しした「個」としての生命と「種」としての生命というふたつの存在形式が思い出される。

日本語話者は、他の言語圏に比べて「種」としての生命に対する親和性が強かったのかもしれない。

しかし、いずれにせよ時代が下れば渾然一体となった関係の中から「個」が析出しはじめる。

つまり、人と人との間に距離ができ垣根ができる。
人と人との間が遠くなる。

そして、その関係をあらわすために「わたし」や「あなた」や「かれ」という人称代名詞が成立した…。

そう考えれば、日本語においてなぜわざとらしく、よそよそしく、取りすました遠いことばが基本的人称代名詞として採用されたのか、そのことに納得がいく。

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