« 「わたし」と名前 | トップページ | 名前の威力 »

2011年4月 4日 (月)

「おかあさん」の誕生

赤ちゃんの言語発達については専門家による無数の研究が発表されているから、私などが言うべきことは何ひとつない。

しかし、やはり首を突っ込んでみたくなる興味深いテーマである。

呱々の声をあげた赤ちゃんは生まれてしばらくは泣いてばかりいる。
これは赤ちゃんの仕事だからやむを得ない。

赤ちゃんがはじめて発する分節音声は「マアム」のように聞こえる。
これはどの言語圏でも同じではないか?

赤ちゃんの発声器官の構造がそんな音声を出させるのだ。
生まれていきなり「天上天下唯我独尊…」なんて音声を発したのはお釈迦さまだけである。

「マアム」という分節音声は赤ちゃんにとってもっとも大切な事物に結びついている。
つまり、「食べもの」や「お母さん」に対応している。

だから英語、中国語をはじめ世界の多くの言語では母親を示す幼児の親族呼称はM音ではじまる。

一方、日本語では赤ちゃんの発する「まんま」は母親ではなく食べ物を意味すると理解されている。
しかし、お母さんであれ食べ物であれ赤ちゃんが生きるためにもっとも必要としているもの、という点では同じだ。

案外、赤ちゃんは食べものとお母さんを区別していないのかもしれない。

「おかあさん」という親族呼称は音節数も多いので、発声器官がかなり発達してからでないと使えない。

だとすれば、「おかあさん」が使えるようになるまでの間、赤ちゃんは「まんま」という語で食べものだけでなく、母親のことも指していると考えてもおかしくない。

そうでなければ、赤ちゃんはいちばん大切な人を呼べなくなる。

逆に英語の「ママ」はお母さんだけでなく食べ物をも意味していると推理してもいい。
赤ちゃんに国境はないのだ。

「おかあさん」は「まんま」に比べてむずかしいけれども、その汎用性は広い。
日本の家庭では子どもが母親を呼ぶときだけでなく、夫が妻を呼ぶ場合にもしばしば流用される。

「ねえ、おとうさん、私の赤い靴知らない?」
「知らないなあ、あかあさんに聞いてみたら?」

「おかあさん、私の赤い靴知らない?」
「さっき、おねえちゃんが履いていったわよ」

少なくとも英語では、このようなことばづかいはあり得ない。
家庭内の最年少者の視点が全員の親族呼称システムを支配する、というのが日本語のおもしろいところだ。

|

« 「わたし」と名前 | トップページ | 名前の威力 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「わたし」と名前 | トップページ | 名前の威力 »