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2011年4月18日 (月)

名前と文字

前回、話しことばの世界でフルネームが用いられるのは異常事態だというお話をした。

ただし、これには例外もある。
韓国のように同姓が多い国では、「キムさん!」と呼んだだけでは人を特定することができない。
だから、NHKBSの『イサン』でも王さまは臣下をたいていフルネームで呼んでいた。

現代の韓国の職場や学校ではどうなのだろう?

それはさておき、日本でも晴れがましい場ではフルネームが呼ばれることがある。

たとえば、卒業証書や賞状が授与されるときである。
「山本太郎殿、貴殿は…」

しかしこれはそこに書かれてある名前を読み上げているにすぎない。
前回の役所や病院の場面でも、係の人は申請書やカルテに記されている名前を音声化しているのである。

つまり、話しことばとは対照的に書きことばではフルネームのほうがふつうなのだ。

書きことばの本領である正確性、記録性がフルネームを要求する。
その意味では、フルネームは文字化されてはじめて値打ちがある、とも言える。

文字表記、という点になると日本語は俄然その力を発揮する。

その多様な表記システムが無尽蔵、とまでは言わないけれどもそれに近いほどの名を生産することができる。

たとえば、「里香」ちゃんという名前なら、「理香」もあるし「梨花」もあるし「梨佳」もある。
お望みならまだまだいくらでも繰り出せる。

もちろん、ひらがなの「りか」ちゃんもいるだろうし、「香山リカ」さんはカタカナを使っている。
料理研究家の「行正り香」さんは、なんと漢字とかなを組合わせるという裏わざを演じている。

ローマ字なら「RIKA」としか表記できない。
表記システムの多様性を駆使して名を作ることができないのだ。

この例だけでも、日本語の世界は少なく見積もってもローマ字表記の10倍以上の名前資源量を持つ。

少し前、西洋やイスラム圏では父祖の名を子どもにつけることがわりに多い、というお話をした。
その時は系譜意識の存在をその理由にしたけれど、日本語に比べてはるかに名前のストックが少ないことも理由のひとつかもしれない。

西洋の親たちは、あらかじめ出来上がっている名前リストの中から子の名前を「選ぶ」。
これに対して日本の親は、おびただしい文字を組み合わせて新たに子の名前を「作る」。

大翔、颯太、拓海、陽菜、結衣、美月…。
ひとむかし前にはお目にかからなかった名前が今もどんどん生まれている。

読みだって、変幻自在である。
「大翔」を「ひろと」と読ませたり、「美月」を「はるる」と読ませたり。

日本のお父さんお母さんが、赤ちゃんの名前を「作る」楽しみを満喫している様子が目に浮かぶ。

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