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2011年3月28日 (月)

「わたし」と名前

「ムレ」の集合的意識の中からはじめて「わたし」の意識が析出したとき、その事態はことばにどのように反映されたのか?

「わたし」が生まれたからには、さっそく自分を指すことばが必要になる。

そこで、日本語の場合ならまず「あ」という自称が生まれた。
同時に「な」という対称も成立した。

「わたし」や「あなた」を指すことばは、ある意味では最重要なものだから、「あ」なり「な」なり発音しやすい音声が割り当てられるのは納得がいく。
英語でも「I」や「YOU」だし。

それが日本語の場合、いつの間にか「わたくし」という4音節もあるややこしい音声に転化した。
それはなぜか?

という風にまたしても疑問がふくらむのだが、この問題に深入りすると長くなりそうなのでいずれあらためて悩むことにしてここは先を急ごう。

ともあれ、すべてに先立ってこんな人称代名詞が生まれたのだと思う。

しかし、いつまでも代名詞だけですますわけにはいかない。
人称代名詞はその場で成り立つ相対的人間関係をあらわすことしかできないのだ。

そこで、ムレつまり社会の中で「個人」を特定するための標識、つまり固有名詞が考えだされた。
たとえば、こんな風に。

「かれ」が生まれた家には、よく目立つ柊の木が一本あった。
だから、かれは「ヒイラギノヒコ」と名付けられた。

「あのこ」が生まれたのは萩の花が咲き乱れる季節だった。
だから、「ハギノヒメ」と命名された。

いまの感覚ではニックネームみたいなものだが、これでも個体識別には十分役にたつ。

まず代名詞が生まれ、次いでものをあらわす普通名詞が生まれ、最後にその普通名詞をやりくりして固有名詞が出来上がった…。

というのは少し前にお話ししたあやしげな名詞進化論だけれど、こうしてふりかえってみると案外つじつまが合っているような気がする。

しかし、ここで一つ頭の痛い問題にぶつかる。
「おとうさん」や「おかあさん」などの親族呼称のことである。

子どもは親に対して「あなた」と人称代名詞で呼びかけることはない。

まして、父に対して「山本太郎さん」と固有名詞で呼びかけることなどありえない。
例外的にそのようにフルネームで呼ぶことはあるが、それは親子の縁を切るということを意味している。

ふつうは「おとうさん」や「おかあさん」、「パパ」、「ママ」という親族呼称を用いる。

親子関係は人間関係の基本だから、ひょっとするとすべての人称代名詞にさきがけて親族呼称が生まれたのかもしれない。

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