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2011年2月 7日 (月)

土地の名 人の名(その10)

人類誕生の瞬間には、うまく想像が及ばない。
映画「2001年宇宙の旅」のオープニングシーンみたいなものだったのだろうか?

いずれにせよその時、人は他の人とともにいた。

魚のように水の中ではなく、鳥のように空の上でもなく、大地に両足を踏ん張って(つまり直立二足歩行ですね)人としての自覚にめざめた。

目をあげれば、きっと遠くに高い山がそびえていただろうし、足元に視線を落とせばそこには小さなせせらぎが流れていたにちがいない。

映画では猿人たちはうなり声をあげていたけれど、人類を名乗るからにはすでに「ことば」もあったはずである。

あの山、この川、それにおれの隣にいるこの男に「名」を与えなければいけない…。

そんな衝動はいつ、どのようにして生まれたのだろう?
答えの出ようはずもないこんな疑問がふっと湧いてきた。

土地の名か、人の名か、どっちが早かったのだろう?
せめてそれだけでも知りたい。

根拠のない想像をするなら、土地への名付けのほうが早かったような気がする。
土地と人とでは、土地のほうがえらいという結論も出たことだし…。

何しろ人間は動き回って食べ物を得なければならないのだから、地理的オリエンテーションは死活的に重要だったはずだ。

「獲物はどこにいる?」
「さっき、でこぼこ山の南で見かけた」

「うまそうな魚だな、どこで獲った?」
「ささやき川の瀬で」

だから、同僚との情報交換の中でまず場所を特定する固有名詞が発達した。

それに比べれば、人間なんて名無しの権兵衛でも何とかなる。
せまい社会だから、用があれば直接そいつのところへ出向けばいい。

それに、むかしは人を「個人」としてではなくムレ単位で認識した。
「個性を持ったひとりの人間」なんて観念は露ほどもなかった。

だから、ひとつのムレがそのままひとつのムラを形成しているような環境では、人の名など必要がなかった。
その証拠に、女の人にまともな名前がつき始めたのはついこの間のことなのだ。

この仮説には証拠がないからまちがっているかもしれない。
しかし、だれにもたしかめようのないことだからその点気が楽である。

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