土地の名 人の名(その9)
前々回、ピカソの本名がやたらに長いのは魔性の目をあざむくためじゃなくその頃の人々に根強かった系譜意識の反映かもしれない、というお話をした。
そういえば、前回登場したオバマ大統領のフルネームは「バラク・フセイン・オバマ2世」というのだそうだ。
父親の名を受け継いでいる。
系譜を意識している。
つまり、「襲名」である。
襲名は古今東西それほど珍しいことではない。
オバマ大統領のように父親や祖父の名を受け継ぐということは、西欧ではわりと普通に行われている。
さすがに今の日本では子や孫に自分の名をそのままつけることは少ないが、歌舞伎や落語など芸事の世界では今でも襲名の習慣がちゃんと守られている。
由緒を誇る地方の名家でもそれはある。
たとえば出雲の「田部長右衛門」、大関酒造の「長部文治郎」など。
古事記は、天地開闢以来の神々の名をあげその系譜を語ることからはじまっている。
ふつう新約聖書の最初に置かれる「マタイによる福音書」も、冒頭アブラハムからイエス・キリストに至る系譜をえんえんと述べている。
たいていの人は、ここで退屈をおぼえる。
しかし、むかしは系譜を尊び系譜をゆるがせにしないこと今の人の比ではなかった。
それが命名にあらわれ、襲名という習慣につながった。
襲名の場合、まず名がある。
それが代々受け継がれていくことを通じて、固有の価値を持ちはじめる。
名に固有の価値があり、その名を襲う人は自分の個性より名の価値を大切にしなければならない。
よく襲名披露の場で、「歴史ある名を汚さぬよう、精進に努めます」なんて口上が行われる。
ということは、人間よりも名のほうがえらいのだ。
前回は人間よりも土地のほうがえらい、という結論だった。
あまつさえ今回は人間より名のほうがえらい、という事態に発展した。
どうも人間は分が悪い。
人生は短く、そしてはかない。
しかし、名は時を超えて永遠に生き続ける。
そう思えば、この世界にあって「名」つまりことばこそが実在であり人はその影にすぎない…。
そんな風にさえ思われてくる。
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