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2011年1月16日 (日)

土地の名 人の名(その7)

ピカソの本名は、めったやたらに長い。
名前の中に別の名前が幾層にも入れ子構造のように組み込まれている。

これもまた、改名や別名と同じく魔性のものの目先をあざむく作戦のひとつだろうか?
それとも、名は一族の系譜を背負うべし、という価値観のあらわれだろうか?

ともあれ、今日ではわたしたちはたったひとつのわかりやすい本名で社会的に管理されている。
そのことにすっかり慣れてしまっている。

しかし、本当は人とその名の関係は一筋縄ではいかない面妖なものだ。

人は、本当の名を秘して明かさない。
人は、ころころ名を変える。
人は、本名のほかに別名や号を持つ。

同じ固有名詞でも、土地の名とはずいぶんちがう。
土地はいったん名付けられればめったに変わることはないし、複数の名を持つことも少ない。

だいいち、地名が何の予告もなくころころ変わったとしたらどうなる?
同じ町が地図によってちがった名前で表示されていたらどうなる?

わたしたちはみな迷子になってしまう。
つまり、地名としての役割が果たせない。

前にお話ししたように、土地と人はキャッチボールのように「名」をやり取りをする。
その例として、少し前には「ワシントン」をあげた。

前回登場した安井算哲=渋川春海の姓、「安井」、「渋川」もそれぞれ一族の領地とした土地の名前をもらっている
(これも、冲方丁『天地明察』から)。

そして、この安井算哲の父の叔父が安井道頓。
大阪の道頓堀は開発者であるかれの名にちなんでいる。

かくのごとく、土地と人はキャッチボールのように「名」をやり取りをする。
それにしても、このバッテリーの性格の何と対照的であることか!

たとえて言えば、土地は安定感のあるキャッチャーである。

魔性のものの手を怖れる必要など何もない。
人とちがって、特定されてもびくともしない。

それにひきかえ、ピッチャーすなわち人間のほうは落ち着きがない。
土地とちがって、厄介な事情をたくさん抱えているので仕方がない。

ともあれ、野村や香川のようなどっしりしたキャッチャー(出てくる名前が古い!)の支えがあって、はじめてこのキャッチボールは成り立っている。

考えてみれば原初人間は土くれから創り上げられたのだから、ついつい土地に頼るのも当然かもしれない。

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