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2010年11月16日 (火)

地名と意味(その4)

地名と意味の関係はいくぶん錯綜している。

だから、このふたつの間でこのところ私は右往左往している。

地名はあくまでことばなのだから、そこには意味があってしかるべし、と言ってみたり。
地名は対象を明示できれば意味のない符牒で一向差支えなし、と言ってみたり。

やはり、もともとは地名にはそれなりの意味があったのだと思う。
古代人のことだから、土地の形状や特徴を素朴なことばで表現したのだと思う。

たとえば「遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出たるなるべし」(柳田國男「遠野物語」)。

「すま」だって、もともとは「すみ」だったという説もある。
つまり、摂津国のすみっこという意味ですね。

それが、時の流れとともに転訛して意味がわからなくなった。
そこへ漢字が渡来して「須磨」と表記するようになったものだから、ますますわけがわからなくなった。

つまり、意味の空白が生じた。
「すま」は意味の空白を抱えたまま長い時を生きのびた。
地名は意味がなくても機能するのだから、そのようになる。

しかし人間とは不思議なもので、空白を見つけるとどうしてもそれを埋めたくなる。

私の場合、「海水浴客でにぎわうビーチ」というイメージや百人一首でおぼえた古歌、読みかじった源氏物語の一節でその空白を埋めた。

無文字時代からの「すま」の歴史には、こうして意味の攻防と興亡が繰り返されてきた。

同じ地名でも、「銀座」の場合は少しなりゆきを異にしている。

「銀座」は「すま」とちがって、漢字が定着してから名付けられた新しい地名だ。
土地の特色を漢字の表意機能を用いてあらわした地名である。

はじめからゆるぎなく意味が定まっていて、「すま」のように時とともに変転することがない。
漢字のパワーをつくづく感じる。

「すま」との違いはもうひとつある。

今日の「すま」の意味は私の個人的体験によって再生されたものだ。
いわば私の手づくりの意味である。
だから、そこには普遍性がない。

しかし「銀座」の場合、今日では「繁華な町場」という普通名詞的な意味まで獲得している。
だから、日本各地に「○○銀座」ができる。

ふだんは地名の意味なんてまるで気にもとめないし、地名は単なる符牒で十分と言っている。

それでいて、意味の空白があればついついそれを埋めたくなるし、意味を獲得したらしたで大いにそれを利用してやろうと考えてしまう。

人間って本当に虫のいい生き物ですね。

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