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2010年10月 3日 (日)

文字と日本語

あのアラビア文字でも、その気になれば日本語は書きあらわせる。

というのはずいぶん前にお話ししたことだった。

言語とそれを表記する文字との関係はたぶんに便宜的かつ偶発的なものだ。
だから、トルコや韓国やベトナムのようにある時期から使用する文字体系をがらりと切り換えることだってできる。

かりに日本のお隣がローマ帝国だったとしたらいまごろはローマ字で日本語を書いていたはずである。

ローマ字化は案外すんなりと進んだかもしれない。
中国語の特性と直結した漢字に比べて、没個性的な音素文字はどんな言語にもなじみやすいのだ。

だから、カタカナやひらがなも生まれなかったと思う。
紫式部が羽根ペンをとってローマ字で源氏物語を執筆している様子が目に浮かぶ。

いまわたしたちが漢字かなまじりの表記を基本としているのは、そんな偶然の所産なのだ。

漢字かなまじりの表記がいいのか、それともローマ字表記のほうがいいのか?

この問題は150年前から議論されていて、論点も出尽くしている。
だから、私がこのブログでお話しすることは何もない。

ただ、ひとつだけ気になることがある。

それは、前回の「うみ」と「いき」をめぐるお話のことである。

もしも日本がローマ字の国だったとしたら、前回のようなお話は可能だろうか?

「うみ」と「いき」のお話は、漢字とかなの表記の使い分け、漢字の意味分割機能を活用することで成り立っている。

もしもローマ字だけしかなかったら…?

「うみ」も「海」も「生み」も、「UMI」としか書けない。
「いき」も「息」も「生き」も「行き」も「逝き」も「粋」も、「IKI」としか書けない。

「公園」と「講演」と「後援」も「KOEN」としか書けないけれども、この場合はある程度文脈で判別可能だ。

しかし、「うみ」と「いき」の場合は文脈に頼るわけにはいかない。
表記の使い分けそのものによって意味のちがいを表現しているのだから。

さて、どうしたものだろう?

どうしても、というのなら「IKI」のあとに各語の辞書的意味をいちいち解説しながら書き進めていくしかない。
それもすべてローマ字で。

考えただけでやる気なくしてしまいますよね。

結局、前回のようなテキストは日本語表記の世界でしか成り立たないのかもしれない。

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コメント

チョさん

コメントありがとうございました。

外国の方に日本語を教えていると、ふだん母語話者が気付かない問題に直面することが少なくありません。

だいぶ前に書いた「どうぞ」と「どうか」の違いもそのひとつでした。

チョさんも日本語を勉強することで、韓国語のおもしろさを再認識されたのではありませんか?

勉強がんばってくださいね!

投稿: しおかぜ | 2010年10月18日 (月) 11時19分

しおかぜさん初めまして!
日本語の特徴や利点を分かりやすく知ることができました!
しおかぜさんは何か言語に関する職業にお就きなのでしょうか?
「なるほど」と思わせる具体例がとても多いです。

日本語を母国語としていない人達も理解しやすい内容だと思いました!
私も日本へ語学留学しに来ている韓国人ですが、ハングるとの違いもよく分かりました!

投稿: チョ | 2010年10月10日 (日) 01時49分

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