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2010年10月10日 (日)

文字と日本語(その2)

「うみ」や「いき」をめぐるテキストは、日本語表記の世界でしか成立しないかもしれない…。

というのが、前回の結論だった。
つまり、文字表記と内容は不可分、文字表記が内容を制約しているということである。

だとすれば、前回の書き出しの部分とは矛盾していることになる。

出だしでは、言語とそれを表記する文字との関係はたぶんに便宜的かつ偶発的なものである、と言っていたのだから。

うーむ、困った。
この自己矛盾をどうしよう?

矛盾の原因は、テキストの後半で言語と文字表記の関係についての一般原則に対して、みずから例外を持ち出したからだ。

これが、わたしたちの言語活動全体から見て無視できる程度の例外ならいい。
しかし、そうでないとしたら問題は深刻だ。

前回、紫式部がローマ字で源氏物語を執筆している様子を思い浮かべてみたけれど、かりに日本語がローマ字圏に属していたとしたら、源氏物語は生まれたかどうか?

みなさんはどう思われます?

歴史の世界で「もしも…だったら?」という問いのたて方はナンセンスかもしれない。
でも、まじめに考えてみるのも決してむだではないと思う。

もしも日本語がローマ字圏に属していたら、源氏物語は生まれなかった。
あれは、漢字とひらがなのたまものだ。

とするならば、文字・表記のシステムがわたしたちの言語活動を制約していることになる。

そんなことがあっていいものだろうか?

音声言語とちがって、文字はどんなにさかのぼっても6千年の歴史しかない。
しかもその期間の大半は、何だかいかがわしいもの、あやしげなものとして社会の片隅に身をひそめていたのだ。

そんな新参者、成り上がり者にわたしたちの言語活動が支配されていいものだろうか!

つい、興奮してしまった。
しかし、昨今の文字言語の傍若無人ぶりはたしかに目に余る。

かりに日本語がローマ字圏に属していたとしても、源氏物語はやっぱり生まれた。
源氏物語そのものは漢字やかなと関係がない。
人間の精神の働きや創造性は文字や表記システムの次元を超えたところにある。

ここは、心情としてそう結論づけておきたい。
根拠はないけれど…。

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