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2010年9月 7日 (火)

和語と漢語(その5)

「白馬岳」は「しろうまだけ」か「はくばだけ」か?
「二上山」は「ふたかみやま」か「にじょうざん」か?

前回は、今日では後者が多数派、という前提でお話を進めたのだけれど、これはもちろん私の見込みにすぎない。

本当は、「白馬岳」や「二上山」を知らない人を対象にアンケートをとってみたいところだ。
漢字表記を示して、どう読むか聞いてみたい。

実証的に見てどちらが多数派なのか、私にも興味がある。

なぜなら、そこには「かな・和語」と「漢字・漢語」に対する現代日本語話者の言語感覚が投影されるからだ。

くりかえしお話ししているように漢字はインパクトの強い文字である。
だから、目の前にこれを突きつけられるとつい漢字本来の字音にひきずられて読んでしまう。
つまり、「白馬岳」なら「はくばだけ」、「二上山」なら「にじょうざん」。

しかし、古来からの言語感覚を多分に受け継いでいる人なら、そこで踏みとどまることができるかもしれない。
つまり、「はくばだけ」ではなく「しろうまだけ」、「にじょうざん」ではなく「ふたかみやま」というオルタナティブが浮上するのだ。

「白馬岳」にしろ「二上山」にしろ、無文字時代から引き継がれた名前にあとから漢字を当てたものだ。
だから、字音の読みを優先してしまうと名前に込められた本来の意味や豊かな連想が失われてしまう。
いつかお話した漢字のクラウド効果である。

「はくばだけ」では、山肌に残る「しろかきうま」のイメージが伝わらない。
「にじょうざん」では、姉弟「ふたり」の哀切な物語に思いが及ぶことはない。

字音による読みは、対象を示す単なる音声的符牒にすぎないのだ。

「白馬岳」は「しろうまだけ」か「はくばだけ」か?
「二上山」は「ふたかみやま」か「にじょうざん」か?

日本語のなかの漢字は黙して語らない。

だから、どのように読んでもそれは読み手の栄光に属する。
対象が明示できるなら、単なる音声的符牒で一向かまわないという人だっている。

私はつねづね「しろうまだけ」と読んでいる。

だからといって、他人に対してかくかくしかじかの来歴があるから「しろうまだけ」が正しく「はくばだけ」はまちがいだ、と説教するのはナンセンスなのだ。

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