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2010年7月18日 (日)

うたと日本語

金曜日の夜8時は、「ミュージックステーション」略して「ミューステ」を見る。

登場する歌い手さんやグループの半分以上は、ローマ字表記の名前である。
歌のタイトルも半分以上は、ローマ字表記の言語である。

歌が始まると、画面下に歌詞が流れる。
れっきとした日本の曲だけれど、歌詞の中に突如ローマ字表記のなまの英語があらわれるのはもう珍しくない。
たとえば、「please stay with me」とか「lets change myself」とか。

最近その頻度と比率が急激に上がってきたように思える。
私が子供のころはそれほどでもなかった。

「デート」や「ロマンス」といったことばが断片的に、遠慮がちに歌詞の中にすがたをあらわす程度だった。
それも、カタカナ表記の外来語、つまり日本語に仕立て直されて…。

歌詞の中になまの外国語が流れ込むのは、日本語の世界だけの特異な現象だろうか?
それとも、他の言語圏でも例があるのだろうか?

たとえばデンマークの歌番組で、画面に表示されるデンマーク語の歌詞の中に唐突に「貴方にめぐり合い…」という日本語が漢字かなまじりの表記であらわれる、なんてことがあるのだろうか?
そもそも歌詞が画面下に表示されるのだろうか?

シリアの歌番組ではどうだろう(歌番組あるかな?)。
中国やスリランカの歌番組ではどうか?

香港では、広東語と英語がちゃんぽんになった小説が人気を博したことがあったとのことだが、歌番組ではどうなのだろう?

もし、このことが日本だけに見られる現象だとしたら、この切り口から日本語の特性を考えることもできる。

私はこのブログでかねてから日本文化の共存原理、ということにふれてきた。
そして、この原理は日本語の言語現象にもはっきり表れている、というお話をした。

日本語の歌詞の中に英語をそのまま招き入れて、「仲良くやろうよ」というのもその共存原理のなせる技かもしれない。

考えてみれば、英語の浸透は歌の世界だけにかぎらない。

映画のタイトルも、このごろは英語の原題をストレートに転用するケースが増えてきた。
たとえば、「レッドクリフ」や「パッセンジャーズ」のように。
「第三の男」も「真昼の決闘」も、今なら「ザ・サードマン」や「ハイヌーン」のタイトルで公開されるだろう。

今はまだかろうじてカタカナ表記だけれど、歌番組と同じようにそのうちもろローマ字表記にならないとも限らない。

このことは、水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」の書評にもう少しくわしく書いた。
(ご関心のある方は右のリンクから飛んでくださいね。)

ともあれ、こうした英語の浸透を日本語の衰弱、ととらえる人も少なくないと思う。

しかし、慨嘆する前に一呼吸入れて、考えてみるのもむだではあるまい。
「なぜそうなるのか、ひょっとしてこれは日本語の特性と関係があるのでは?」と。

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コメント

ブラクラではありませんのでご心配なく。

たぶん、あなたのおっしゃることは違うと思いますよ。

ちょっと、参考までにYou Tubeから

「涼宮ハルヒの憂鬱 ロシア語版OP」
http://www.youtube.com/watch?v=HUrfS0mi05Q&feature=related

「らきすた 韓国版OP」
http://www.youtube.com/watch?v=wn8quMI_TnM&feature=related

投稿: harahetta | 2010年7月19日 (月) 16時15分

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