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2010年7月 5日 (月)

疾走する表記

英文を書くという行為は、直線的なハイウェイをまっしぐらに飛ばすようなものである。
これに対して、日本語文を書き進むということは無数の分岐点に出会う困難な旅である。

前回はそんな対比をしてみた。

たしかに日本語文を書くことは、たった3行書くだけでへとへとになるつらく苦しい作業だ。

しかし、なにごとにも両面がある。

見方を変えれば、日本語ほど自由で豊かな表現力をもった表記システムもない。
ローマ字しかない英文とちがって、文字づかいを工夫する楽しみ(愉しみ?)はふんだんにある。
分岐点に立ち止まって逡巡し葛藤し懊悩するのも、贅沢といえばぜいたくなことだ。

ただ、ワープロやケータイの時代になって、日本語の書き手だけに許されたこの贅沢を楽しめる人が少なくなったように思える。

表記をワープロまかせにすれば、日本語を書くという作業も英文と同じようにハイウェイを疾走する如くになる。

分岐点があったとしても、機械にまかせてしまえばないも同然である。
逡巡も、葛藤も、懊悩も、苦渋の決断も何もしなくていい。
実に気楽なドライブである。

そして、ワープロソフトは「漢字=まな」の信奉者だから、そのテキストはほうっておくと漢字だらけになってしまう。

「節度ある漢字の使用」というポリシーに貫かれたテキストは読んでいてすがすがしい。

けれども、それは分岐点に立ち止まり逡巡し葛藤し懊悩し、苦渋の決断を重ねた書き手にしかできないことなのだ。

機械まかせといえば、先日テレビでケータイの予測変換機能ということばを知った。

持ち主のことば選びや表記の「くせ」を学習し、「こ」や「め」と入力するだけで、先回りして「今晩」や「飯」を最初に候補として表示してくれる。

ケータイメールを使う人は、「書く」というよりもおしゃべりのつもりである。
つまり早さが命だから、まことに便利な機能、なくてはならない機能だ。

しかしこの機能に頼ってしまうと、表記がワンパターンになるのを避けられない。
語彙が貧弱になるのを避けられない。

英文とちがって日本語文では「変換」のあり方が書きことばとしての死命を制する。
その大事な部分を機械にまかせきりにして、本当に大丈夫なのだろうか?

気楽なハイウェイドライブの行き着く先がとても気になる。

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