« 「かね」と「きん」 | トップページ | 漢字とクラウド »

2010年6月 6日 (日)

表音文字の表意性

漢字は表意文字であるにもかかわらず、意味を表すことができない…。

前回はそんな不思議なパラドクスについてお話をした。

逆に、表音文字であるはずのかなが漢字が表しきれない意味を分割し確定することもある。
その例として、前回は「金」をあげた。

上のような意味分割機能とは違うけれども、かな表記が特別の意味を発信できることをわたしたちはよく知っている。

たとえば、「横浜」と「ヨコハマ」、「広島」と「ヒロシマ」。
表す音は同じだけれども、意味は明らかにちがう。
用いられる文脈もちがう。

最近はよく「コトバの力」という表記を見かける。
素直に「言葉の力」」あるいは「ことばの力」とは書かない。
ここでは、書き手が表音文字であるカタカナにある意味を託していることは明らかだ

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は誰でも知っている有名な詩だけれども、あれがもし漢字ひらがなまじりの表記だったらどうだろう?

きっとずいぶん印象がちがったと思う。
そして、これほど人口に膾炙することもなかったと思う。

「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ…」

賢治が表現したかったもの、それを「意味」といっていいかどうかはわからない。
しかし、それはカタカナに乗ってたしかにわたしたちのもとに届いたのだ。

余談になるが、この詩は漢字カタカナまじりの表記で始まっているけれども、最後4分の1ほどの部分は漢字も消えカタカナのみになる。
これも賢治の意図的なこころみにちがいない。

ともあれ、表音文字であるはずのかなの表意性…。

表音文字よりもさらに徹底した音素文字であるローマ字でさえも、大文字と小文字を使い分けることによって、ささやかながら表意性を発揮することができる。

漢字は、表語文字である。したがって、表意文字でもあり表音文字でもある。
カタカナ、ひらがなは最もピュアな表音文字である。
ローマ字は音素文字であり、結合し文字列を構成することによって表音機能を発揮する。

このブログでは、ずっとそんなふうに文字を理解し整理してきた。

でも、表音文字の表意機能に思いが及んできた今日この頃、文字に対する私の理解はずいぶん浅はかだったと反省している。

そう、表語文字、表意文字、表音文字、音素文字などと分類する以前に、すべての文字はその根源においてわずかであれ表意性を有している。

はるかに文字の起源に思いを馳せるなら、そのことに納得がいく。

|

« 「かね」と「きん」 | トップページ | 漢字とクラウド »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「かね」と「きん」 | トップページ | 漢字とクラウド »