« 地名と漢字表記 | トップページ | 地名と漢字表記(その3) »

2010年5月 2日 (日)

地名と漢字表記(その2)

むかしは外国の地名も漢字表記した。
前回は、その例として「倫敦」、「伯林」、「紐育」をあげた。

漱石がロンドンで苦労をしていた時代のことである。

都市の原音とこの表記を結びつけるのは並大抵のことではない。
だれかに教えてもらわないかぎり、「紐育」をニューヨークとは読めない。
地名の漢字表記の限界をつくづく感じる。

ならば、ちゃんとかながあるのだからかなで書けばいいのに、と思う。

にもかかわらず、漢字表記が行われたというのは「漢字=まな」の意識があまりにも強烈だったせいだろうか?

それに、かなで書くのは知識人のこけんにかかわる、という思いもあったのかもしれない。

むろん、都市名だけでなく国の名前も漢字で書いた。
イギリスなら「英吉利」、フランスなら「仏蘭西」という風に。

さすがに今は国名を漢字で書く人はいないけれど、文字数を節約する必要があるときは「英国」、「米国」と書く方法があって、これは今でもよく使われている。

日本とフランスの友好、なら「日仏友好」の4文字ですむ。
これはこれで重宝している。

じゃあ、なにがなんでも漢字表記したかといえば、実はそうでもなさそうだ。

横浜開港資料館には、黒船来航当時のかわら版が展示されている。

そこには西郷隆盛によく似たペリー提督の似顔絵が描かれていて、
「北亜墨利加人物 ペルリ像」という説明がついている。

ここでは、国名は漢字表記だけれど人名はカタカナ表記なのだ。

なぜだろう?

「ペルリ」の漢字表記がうまく思いつかなかったのだろうか?
どうせこじつけの近似値だから、「戸留里」でもかまわないと思うのだが…。

それとも、国名は漢字、人名はカタカナという慣行が当時あったのだろうか?
だとすれば、そうした使い分けはどのような思想に基づいているものなのか?

こうして、謎はますます深まるばかり。

|

« 地名と漢字表記 | トップページ | 地名と漢字表記(その3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 地名と漢字表記 | トップページ | 地名と漢字表記(その3) »