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2010年5月24日 (月)

地名と漢字表記(その5)

しょせん、文字は音声に追いつくことができない…。

前回記事の最後に、そんな詠嘆が聞かれた。

たしかに、ふだんはもっとも進化した音素文字といばっているローマ字も、「北京」は「Beijing」と表記するのが関の山である。

そして、その「Beijing」をわたしたちは「ぺきん」と発音しているのだ。

しかも、「Beijing」が決定版の表記というわけではない。
「Peking」だって十分可能だし、こっちのほうが原音に近いかもしれない。
どのみち、近似値であり慣用に過ぎないのだ。

こうして他言語の固有名詞を表記しようとするとき、文字の限界がはしなくも露呈する。

ところで、わたしたちはふつう「北京」を「ぺきん」と発音し、「上海」を「シャンハイ」と発音している。

「北京」を「ほっきょう」または「ほっけい」と日本式字音で読むことはない。
それで、何の不思議もないと思っている。

しかし、「重慶」はふつう「じゅうけい」と日本式字音で読み、「ちょんちん」と現地音で読むことは少ない。「瀋陽」についても同じである。
テレビのニュースでも、これらの都市は日本式字音で呼ばれている。

つまり、同じ中国の地名でも現地音で読む場合と日本式字音で読む場合とが混在しているのである。
しかも、2種の読みかたを分ける基準もはっきりしない。

そういえば、歴代の王朝の名前もそうだ。
遣隋使、遣唐使の「隋」や「唐」は日本式字音で読むのに、「明」や「清」は現地音で読んでいる。

どうしてこんな事態に至ったのか?

それが慣用なのだ。
と片付けてしまえば話は早いのだが、それでもこのような慣用が確立するに至った理由と経過があるはずだ。

それを知りたい。
私は、ことばにかかわる現象については知りたがり屋なのだ。

日本文化の共存原理、ということをこのブログでは何度もお話してきましたよね。
つまり異なった要素の混在を歓迎する、少なくとも混在を気にしないという心性である。

それが、ここでもはたらいているのではないか?
だから、「ぺきん」と「じゅうけい」が混在していてもノープロブレムなのだろう。

とりあえず、いまはそんなふうに自問自答している。

ただ、韓国の地名や人名はいつの頃からか日本式字音読みから現地音での読みに移行した。
「さいしゅうとう」が「ちぇじゅど」になり、「きんだいちゅう」が「きむでじゅん」になった。

「ジュリアス・シーザー」もいつの頃からか「ユリウス・カエサル」になった。

現地音の尊重、ということが世界的な流れなのだ。

だとすれば、中国の地名人名についてもいずれは現地音で統一される日が来るかもしれない。

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