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2010年4月11日 (日)

「濱」と「浜」(その5)

横浜は時と場合に応じて「横濱」になることもあれば、「ハマ」に変身することもある。
そのたびに、横浜の街は人に違った印象を与える。

文字はことばがまとう衣装なのだろうか?

同じ人でも、着る服がちがえばがらりと印象が変わることがある。
それと同じことかもしれない。

日本語表記の世界は衣装持ちなのだ。

横浜、横濱、よこはま、ヨコハマ…。
日本語表記は無政府の解放区だから、「よこハマ」だって許される。

ローマ字なら、「YOKOHAMA」だけしかない。
せいぜい、大文字を小文字に変えるくらいのことしかできない。

しかもそれでがらりと印象が変わるわけでも、特定の意味を発信するわけでもない。

モードは記号だと言った人がいるけれども、日本語における文字は他のどの文字よりも記号性が高いといっていい。

ただし、この記号を使いこなすには相当の年季がいる。

日本語能力試験2級合格程度の外国人学習者では、「横濱」という記号の意味を解読することはむずかしい。

しかも、「横濱」が醸し出すニュアンスを教えられたとしても、それを応用することで「文芸」と「文藝」を書き分けるという芸当ができるわけでもない。

「国体」の文字を見れば秋空の下でのスポーツ大会が思い浮かび、「國體」ならただちに戦前の右翼思想を連想する、ということもできない。

つまり、こうした表記の裏わざには汎用性がない。
体系化されていないから、日本語学校でも教えない。

その意味では、日本語表記は「法」や「学」というよりも「術」に近い。
万人に開かれた「表記法」や「表記学」ではなく、妖気ただよう「表記術」…。

忍術や錬金術と同じように、一種あやかしのわざかもしれない。

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