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2010年4月 4日 (日)

「濱」と「浜」(その4)

「濱上」さんは、「浜上」さんと間違われて気分を害してしまった。
軽く見られた、そんな気がしたのだ。

ということは、「濱」と「浜」とでは文字の重さがちがう、ということだ。

たしかに、「国男」さんに比べれば「國男」さんのほうが重々しくてえらそうな気がする。
「国男」さんなら気安くおつきあいできそうだが、その分軽薄な感じもする。

旧字体は画数が多くそれだけむずかしい。
それゆえに、重量感があり格調が高い。

人々が旧字体にこだわるのもわからぬではない。

「日本文藝家協会」も「國學院大學」も旧字体を改めようとしない。
いま手許にある大学の卒業証書(私のではありません)の日付も、「平成弐拾弐年参月弐拾日」と表記されている。

少し前に、漢字は重い器である、というお話をした。
ずっしりと持ち重りのする厚手の抹茶茶碗のようなもの。

その中でも、旧字体は一段と重いのだ。

この文字としての「重さ」が、人々をひきつけてやまない漢字の魅力だと思う。

同時に、何でもそうだけれど「重い」ということは扱いにくい、ということでもある。

その点、ローマ字は見るからに軽そうだ。
そして、その軽快なフットワークで世界中を席捲した。

漢字はすてきな文字だけれど、万人が共有して使いこなすには重すぎるのだ。

だから、中国では漢字の魅力を犠牲にしてでも大幅な簡略化に踏み切った。
そうしなくては、文字が民衆のものにならなかった。

繁体字が神官文字なら、簡体字は民衆文字なのだ。
同じように、旧字体がヒエログリフなら新字体はデモテックかもしれない。

ただし、日本にはかなという別系統の文字があった。
だから、中国のように繁体字か簡体字か、という二者択一を迫られることがなかった。

「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」というのが共存原理を信奉する日本式なのである。

ところで、台湾はいまもなお繁体字である。
もちろんそれなりの考えがあってのことだろうけれど、人ごとながら心配だ。

だって、「塩」なら何とか書けるけれど「鹽」なんて書けますか?

台湾の人々にとっても、繁体字はもはやワープロでしか書けなくなっているのではないだろうか?
台湾はIT技術の上に浮かんでいる島かもしれない。

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