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2010年3月 1日 (月)

床の間の勝負

市ヶ谷の日本棋院には特別対局室がある。
名人戦や本因坊戦などのタイトル戦がよくおこなわれ、その様子が時々テレビでも紹介される。

和室だから、床の間がある。
そこに「深奥幽玄」の軸がかかっている。

川端康成の揮毫だと聞いたことがあるが、うろおぼえだから間違っているかもしれない。

ところで、この掛け軸がもしかな表記だったらどうだろう?
「しんおうゆうげん」や「シンオウユウゲン」だったらどうだろう?

おそらく床の間には飾ってもらえまい。さまにならないのだ。

韓ドラには昔の王宮の場面がよく出てくるけれども、軸ものや屏風に書かれた文字はみな漢字である。
この時代にはもうハングルが発明されていたはずだが、テレビの画面にハングルがあらわれることはない。

つい先日ちらっと見た現代ものの韓ドラでも、リビングの壁に飾られていた額の文字はハングルではなくやはり漢字だった。

床の間や屏風には、かなやハングルやローマ字は似合わない。

なぜか?

その理由はふたつある。

ひとつは、単純なことだけれども漢字は画数が多く字形が複雑だからだ。
「愛」と「あい」と「AI」を比べてみればすぐにわかる。

「愛」という文字にはさまざまな創意工夫を施すデザイン上の余地がある。
だから、人々の美的鑑賞にたえることができる。
しかし、かなやローマ字やハングルではその余地はきわめて小さい。

もうひとつは、漢字は見る人に向けて意味を放射しているからだ。

「しんおうゆうげん」ということばをいきなり聞いても、何のことかわからない人は多いと思う。
しかし、床の間の軸を目のあたりにすればその威厳に恐れ入ってしまう。

漢字は大きくて、重くて、深い器である。
そこには、芸術性や精神性を存分に盛り込むことができる。

それに比べれば、かなやハングルやローマ字はせいぜい紙コップでしかない。
紙コップにはコーラやジュースしか注げないのだ。

床の間という晴れ舞台には漢字が似合う。
かなやハングルやローマ字とは、しょせん役者が違うのである。

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