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2010年2月 7日 (日)

漢字と身体

少し前に、NHK木曜夜8時の連続テレビドラマ「とめはねっ!」をご紹介しましたね。

あれを見ていると、文字とりわけ漢字を書くという行為は身体全体を使うダイナミックな運動だ、ということがよくわかる。

よく「言語と身体」なんてむずかしいテーマでシンポジウムが開かれることがある。

でも、多くは抽象的な議論に終始して聞いていてもよくわからない。
その場合の「言語」も、たいていは音声言語に焦点を絞っている。

しかし、このドラマでは書道のパフォーマンスが大げさなので、文字を書くことと身体運動の関係が強く印象に残る。

ところで、ローマ字やかなやハングルなど単純な文字に比べて、漢字と身体との関係ははるかに深く切実だと思う。

なぜなら、漢字は字形が複雑だから書くことによって「身体でおぼえる」ことの大切さが、他の文字とは比べものにならないのだ。

すずりで丹念に墨をすり、おもむろに巻紙を展べ、筆先に入念に墨を含ませ、呼吸を整え、姿勢を正し、大きく腕を回し…。
そんな身体的プロセスを経て、ようやく書きはじめることができる。

つい最近まで、わたしたちはそうやって漢字を身につけてきたのだ。

しかし、ワープロが標準の筆記具になって以来この風景はがらりと変わった。

いまわたしたちが書くためにする身体運動といえば、キーボードをたたく指先だけの末梢的な運動にすぎない。

それもローマ字のキーをたたいているのである。

ケータイのボタンなら、ローマ字ではなくかなである。
しかも、「こ」と打つだけで「今晩」に変換することができる。

ワープロやケータイの時代になって、わたしたちは「漢字を身体でおぼえる」ということができなくなった。

そして、ローマ字やかなを経由してしか漢字にたどり着けなくなった。

ワープロやケータイは日本の社会に漢字をあふれさせた。
同時に、漢字は生身の身体から切り離された遠い存在になった。

何というアイロニー!

ワープロのおかげで漢字が書けなくなった人は多い。
かくいう私もそのうちの一人である。

ワープロが標準の筆記具になってから、たかだか20年も経っていない。
それでも、これだけの劇的な変化があった。

かと言って、いまさらもとに戻れない。
これからも、文字言語のIT処理は進む一方だろう。

この先、百年、二百年経った時、漢字とわたしたちの関係はどうなっているのだろうか?

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